2011年3月21日月曜日

震災後はじめて父の声を聞く_3月20日震災10日目

朝早く秋田の姉からIHクッキングヒーターが手に入ったとの電話がある。運送用の袋に隙間があるから何か入れてやると言われ、日用品はとりあえず揃えたので、「稲庭うどん」をお願いしてみた。問題はどうやって発送してもらうかだったが、秋田ー山形間でヤマトの個別配達が開始されたということで、Tの職場宛に送ってもらうことにした。

昨夜はガスパールが吐いたとのことで、ガスパパは動物病院に電話。午前中はやっているとのことで、まずは良かった。

朝食前にM永圭江先生より心のこもったお見舞いメール。ありがたや〜。ちょっと緊張しつつ誠意を込めて丁寧なメールを返す (^-^; 
今年の5月末はお浚い会の予定だったが…(遠い目)
続いて、いつもお世話になっているI田さんから、震災発生以来やっと休みがとれたとのメールがあり、電話してみる。単身世帯の上、ずっと仕事で買い物ができていないとのことなので、ウチから食材等必要物資を持って行くことにする。

TがOケーキ店にてパンの列に並ぶと電話。1人1個なので、虫六子を走らせる。

I田家に出かけるタイミングで、虫六子の親友Hちゃんとそのお母さんが立ち寄ってくれた。
公立の発表が延びたままで気の毒な中学3年生。

I田家に食料を運んで、虫六秘蔵のショコラBBも差し上げた。
お昼はご飯を炊いて待っていてくれた。缶詰カレーをみんなで食べた。
避難所に逃げて命が助かった人たちが避難所を出るときにも大変だと、本当に大変なのはそれからだという話。東京で計画停電している状況で巨人戦をやろうというプロ野球協会は絶対に公益法人などにはしないで、文科省はしっかり税金を取るべきだと憤っていた。街頭で募金募る選手もいれば、何が何だか…。

ものが倒れてめちゃめちゃになっていたHさんのアトリエ復旧。
作品が壊れていなくて良かった。

庭の木に芽が吹いていた。春が近づいています。
(でも、放射能が心配なので、まだ春一番はゴメンです)

帰り道、仙山線を歩いて保線点検している作業員の方を発見。
JRもまだ不通のまま。がんばれ!

近くの西友が開いていて、並んでないので入店。棚には何もなかったが、ティッシュペーパーと虫六子用の飲み物を買う。

自転車でガスパ家に帰宅。
ガスパールの不調にあわせて、ガスママも体調が優れなかったとのことで、1日伏せっていたらしい。ストレス貯めない明るい被災生活をしているつもりでも、みんな疲れが溜まってきたのかな。病気をしないように気をつけないと…。

今日の晩ご飯。
鶏と大根のバター醤油煮、厚揚げと小松菜の煮浸し、ブロッコリーのごま和え、ごはん。(酒なし)

夜、実家に電話。いつも兄の電話は必要最小限の話だが、父母と話す。震災後はじめて父の声を聞く。めんどくさいことを言わないで兄の言うとおりにしてくれと念を押す。「こっちに来たら、壊れた棚を直してね」というと、少し声色が和らいだ。しかし、相馬の状況は好転していないようだ。6号線も常磐線も津波で壊れたので、福島経由でないと移動できない。開業医が逃げて(?)病院をあけていないので、持病(高血圧)の薬が貰えない。原発は自分たちは年寄りだから仕方がないけどY君(高校生の甥)は避難させてやりたい…と。
Y君の高校は南相馬市だ。ふたたび通学することは可能なのだろうか?S市の高校に転校することとか出来るのだろうか?などと、いろいろとまた考えが堂々めぐりする。

自分たちの将来も含めてだが、ついこの前まで想定していた未来はもう無いんだな…と思う。

原発の沈静化を、とにかく祈る。祈るしかできない。

2 件のコメント:

  1. 名古屋の潤一です。
    報道とは違った現状に驚愕してます。

    Yちゃんは、もう高校生かぁ・・・
    中村神社でビービー泣いていたちびっ子の記憶が鮮明に残っているので、なんとも言えないです。

    虫六姉さんのご家族、ガスパ家、S市のご実家のことなど、
    いつも気にかけてます。

    できることは限りがありますが、何でも言ってもらえたら幸いです。
    またブログの更新、無理のない範囲で続けてくださいね。

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  2. >匿名潤一君

    いろいろ心配してくれてありがとうございます。
    私たちは、楽天的なくらい元気に暮らしています。
    津波被害の被災者の状況は私たちもテレビでみていて、本当に気の毒で言葉もありませんが、地震被害のみだったS市の人たちは粛々と不自由な生活をやり過ごしています。当面は自分の周りの機能修復に取りかかっているという感じでしょうか。まだ仕事を再開できていない人たちも沢山いますが、S市にもじょじょに人の動きが出てきたように思います。

    地震の実態が伝わって来るようになり、知り合いの実家が流されたとか家族を失ったとかいう話がだんだん耳に入るようになりました。
    何か支援をしていきたいと思うけど、転んでしまった自分たちの暮らしを立ち直さないと彼らを支えることが出来ないと思っています。
    早く機能を回復して、緊急で救助に入っているボランティアの人たちからその役目を引き継いで行かなければならないと思います。

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