2009年10月30日金曜日

やまびこ連結を目撃

今日は東京前乗りなので、MAXやまびこ218号に乗る。

へっちさんのご指南により、JR「お先に得だね」の3割引チケットでグリーン車を取ってみた。
グリーンなんて贅沢極まりないと思っていたけど、回数券乗車のお値段で何だかすごく快適(*^_^*)
車内で書きものなどしなければならない方にはおすすめです。

で、乗り込む時にやまびこの連結作業を目撃した。何だかラッキーかも。

2009年10月29日木曜日

お三味線、演奏会仕様

演奏会をあさってに控えて、最後のお稽古がありました。仕事帰りにお三味線抱えて行きました。


先生のお宅に三味線やさんが来てくれて、糸を演奏会用のものに張り替えていただき、胴掛けと根尾も演奏会用のものに。我が一門は、銀の胴掛け+白の根尾というのが演奏会仕様なのです。

せっかく張り替えてもらった糸ですが、これから三味線を三本に分解・収納して移動し、東京でまた合体しなければならないので、(いつもは長いまま長ケースに入れて保管しています。その方がすぐに使えるので)、糸が折れてしまうのではないかと少々心配。糸は折れるとすぐ切れてしまうので。また、張り替えたばかりなので、すぐに音が狂って来るのですが、まだ調弦もおぼつかない虫六は、演奏している最中に音が狂ってきたらどうしようと、強迫観念が…。

それにしても、最大の問題は…。

本日先生と本番のように並んでお浚いしたのですが(いつもは向かい合ってお稽古してます)、なんだか調子が狂って、手を間違えてばかり((・(ェ)・;)) …、かなりやばい。「あら、ちゃんと練習してたの?」と痛い突っ込みが飛びました。

明日は午前中は仕事ですが、素早く帰ってきて出かける前に練習しなくっちゃ。新幹線の中ではさすがに練習できないもんね〜。

2009年10月28日水曜日

真夜中の練習

昨日のお稽古にも着物を着て行こうと思っていましたが、台風到来で挫折。どうも不安なので真夜中に着付けの練習をしました。汗だくで。

二重太鼓が思い出せるか、どうにも心配だったのでした。

例により、教科書見ながら、ぐるぐる巻き巻き、まいてはほどきを3回ほど繰り返し、やっと二重太鼓の構造を思い出しました。うん、時間さえかけて忘れ物をしなければ何とかなりそうだと確認。ちょっと安心。

明日から、お三味線の練習に集中しよう…。しかし、残業つづきで練習時間がとれない。着付けの練習は夜中でも出来るのですが、演奏の練習はできないよぉ〜(爆)

2009年10月25日日曜日

れきみん秋祭り2009_その2テツクロさんに芸人魂を見た!

さる講談師の先生が言っていたのですが、芸人さんがお仕事の依頼を受けると、お返事は2通りだそうです。
「はい、ありがたく!」と「もちろん、喜んで!」の2通り。…厳しい世界なんですね。
で、テツクロさんこと、松永鉄九郎さんの神楽舞台ライブが始まりました。

正直なところチラシを見た時に、「えぇ?これ、どおよ?」と思ってしまいました。門付け芸の津軽三味線ならまだしも野外の神楽舞台で長唄三味線一丁で大丈夫かなぁ?しかも前後はたっぷりの神楽舞で、しんどそうだなぁ…と他人事ながら不安がよぎったのでした。テツクロさんのお三味線、大好きなので余計に。

先ほどまで神楽が舞われていた舞台に松羽目の幕が張られて、能舞台仕様になり、テツクロさんが一人紋付き袴姿で登場です。1曲目は「勧進帳の滝流し」、松羽目ものってことで。MCで、「いまお神楽で清められた舞台に、歌舞伎の下座音楽なんて俗なものをやってしまって申し訳ない」とか言いながら、「神楽に比べたら、ホンの最近の芸能ですよ。歌舞伎800年、三味線500年…」と歴史の話題。たしかに、歌舞伎なんて悪所に花開いた芸能ですものね、俗の極みと言えましょうか。でも、お江戸と違って田舎の方はあんまりそんな棲み分けないですよ。「お祭り」は聖俗入り交じってますから〜。

その後からは、下座音楽の春夏秋冬をトークと大曲のさわりを交えながら、構成して聞かせてくださいました。「佃の合方」(吾妻八景)→「千鳥の合方」→「虫の合方」(秋の色種)で、このあたりまでやったところで、件のポン菓子屋さんの大きな爆発音が…。観客の集中が途切れて、MCしていたテツクロさんも「皆さんも気になるでしょうけど、私もさっきから気になって、いつなるんだろ、いつなるんだろって心配で…(苦笑)」と。そんな話をしていたら、目の前の名前立てがスワリが悪かったのか風が吹いた拍子にパタン!すると今度はボンネットバスが舞台の後ろをブッブ、ブッブと通り過ぎていき…。
話上手なテツクロさんなので、その状況を面白おかしいお話にして場を沸かしていたんですが(それはお見事というしかありません)、演奏する身にとってはストレスだったでしょうね。普通の演奏家だったら怒って帰ったかもですねー。そのプロ魂に脱帽しました。この経験を、どうぞ今後のネタにしてください。(っていうか、本日市内の別会場で演奏会があったはずなので早速ネタになっているかな?)

で、そんな話で笑いを取り、ポン菓子屋さんの「んボンッ!!!」にハラハラしながら、次に演奏したのは「雪の合方」で、これが(!)虫六が今個人的に一等はまっている「都風流」の雪の合方を演奏。待ってました!心配通り、かっこよく「トチチリ・チリチリ…」やっていたのに、「パタン」「ブッブ」「んボンッ!!!」。(うへぇ、しんとした会場でテツクロさんの「都風流」を丸々聞きたいよぉ〜〜o(;△;)o)そして、締めは「鏡獅子」の「大薩摩」でした。

ご本人は大変だったと思うのですが、観客は喜んでました。さわりでしたが、下座音楽の面白さが伝わったのではなかったでしょうか。お疲れ様でしたーm(_ _)m 


テツクロさんの後は、早池峰神楽。虫六は紙芝居テントで次の回が始まってしまい、前半は見られませんでした(残念!)この方の扇を自在に操る舞が凄い!

途中から獅子舞に変身しました。早池峰は、舞も切れがあって巧いけど、お囃子と唄も巧いと思いました。素演奏で聞きたいくらいでした。早池峰の神楽殿の本番の奉納神楽をぜひ見たいです。なかなか取れない見たいですけどね、宿が。

早池峰神楽が終わると、幕間の時間に紙芝居テントにどど〜っと人が流れてきました。みんな一生懸命紙芝居を演ってます。

トリは雄勝法印神楽。毎年、この頃合いになると雄勝の神楽が始まります。楽しみです。湯立て神事は紙芝居の片付けで間に合いませんでしたが、「四天」と「産屋」を拝見。「四天」は、国生み・国造りのモノ語りで、4人の神が春夏秋冬と方角を決めて国が安定するというテーマです。4人の踊り手の「青柄の袖+錦の帯地が背中に垂れ落ちる衣装」は、4匹の大蛇を思わせました。

「産屋」は、天孫・ヒコホボデミノミコトが、龍宮の娘・トヨタマヒメと結婚してヒメは懐妊するけれども、出産の場面を見ないと約束して産屋に入ったのにミコトが覗いて、ヒメの龍神の本性を見てしまい、驚いたミコトが産屋を打ち破って御子を救うという話です。正体を見られて、トヨタマヒメが我が子を妹のタヨリヒメに預ける「子別れ」の場面が泣かせます。

このあとは神様同士の凄まじい夫婦げんかの場面「責め舞」になるのですが、その時、西の空に急に紅い光が差し込んできて、一帯が夕焼けで覆われました。なんだか不思議な光景でした。

そして、般若面に変化したトヨタマヒメが舞台の梁にのって、アクロバチックな激しい踊りになります。かっこいい!さらに陽が落ちて急に暗くなり、バッと照明が変わって、ドラマチックでした。

それにしても、これ、なんど見てもトヨタマヒメに同情してしまいます。どう考えてもヒコホボデミノミコトの方が傲慢で蛮行甚だしいと思わずにいられない。天孫だかなんだか知らないけれど、別種族だからって一度は子をなす間柄の女性から、子どもを取り上げて、あげくの果てに殺しますか?!どおゆう了見だよ〜!日本人の先祖って野蛮すぎですー(涙)

昔からずっと繰り返し上演されてきたふる〜〜〜い物語ですが、日本の神を正当化(?)するという大枠のテーマながら、その中にトヨタマヒメの悲劇という、それとは別次元のモノ語りの描写を丁寧に入れ込んでいる構造は面白いと思います。前段のトヨタマヒメと後段の般若顔のヒメが同じ人物(というか神様ですが)とは思えないほどです。清姫などの変化モノの元祖なんでしょうけども、物語としても一貫性を重要視しない手法に歌舞伎などとの共通点を感じて、こういうのは日本独特なんだろうか?と思ってしまいました。
だれか調べているのかな、探してみよう。

2009年10月24日土曜日

マチゲキ、もとい、れきみん秋祭り2009_その1

恒例のマチゲキが、今年は仙台市歴史民俗資料館30周年を記念して「れきみん秋祭り2009」という拡大イベントとして開催されました。

でも、なんで「マチゲキ」ってタイトル使わないのかなぁー???せっかく市民にも定着してきたのに、元の木阿弥ですよね。会場であったお友だちが「マチゲキ」で検索かけても全然ヒットしなくて頭に来た!と怒ってましたよ。継続して大事に使っていくべきだと思うけど、こういうところがスクラップ&ビルドがお得意のS市独特の傾向がはっきり感じられますな。

ともあれ。
毎年、「マチゲキ」のイベントテントの1コーナーとして、虫六が世話人をしている紙芝居グループが街頭紙芝居の上演会をしています。

ほとんどの人たちはお神楽見物が目的なので、街頭紙芝居(テントの中ですが…)はいわば色物ネタです。でも、大人は神楽をみたいけど、小さい子連れの親子や子どもたちのグループなどは居場所を探してけっこう見に来てくれます。ちょっとした託児コーナーですね。また、神楽の団体の入れ替えの間などには、どどーんと人が流れてきて、一生懸命カウントしていたHさんによると、今日一日で400人を超えたらしい。

作品は、創作ものと昔の街頭紙芝居のネタを入り混ぜてやりました。けっこう人が入ってくれたので、みんなもやりやすかったかな。ローテーションを組んで、一人10分くらいずつで3〜4人を1ユニットにして4回まわし。クイズを挟んで正解者には「お化けけむり」をあげました。

隣で「ポン菓子」屋が営業中で、ときどき「んボンっ!!!!!」という爆音が聞こえてきて、いちいち肝を冷やしました。

O竹館長のたっての希望(らしい)で、テキ屋っぽい屋台も4軒ばかり並びました。七夕祭りでいわゆる香具師系の屋台のお出入りを一掃したS市の、市立公園で、市の外郭団体の主催するイベントだったことを思うと、この4軒を並べるだけでもずいぶんご苦労なさったのかも知れないと想像しました。

でも、お祭りにはテキ屋の屋台は不可欠ですよね。この公園いっぱいになるくらいやってくれると、市内外からもかなりお客さんくるのにな。ついでに見世物小屋なんかも呼んだりして…。

客寄せの衣装になるかと、800円でドキンちゃんのお面を買いました。

そんなわけで、紙芝居の方をやらなければならないので(虫六は裏方ですが)、かなり後ろ髪引かれながらも、神楽はちらっとしか観に行けませなんだ。午前中は「生出森八幡神社付属神楽」です。可愛い少女の「神子の舞」だけ拝見できました。

公園の向こうでは、ジャグリングや手品、独楽回しなどの大道芸のコーナーもありました。

東屋の周りにはレールが敷かれてミニSLのコーナーもありました。1回300円で、なんとお面のおまけがついてきます。Σ( ̄ロ ̄lll) うそっ、お面800円で買っちゃったんですけど。やっぱ、テキ屋さんですねー。

ボンネットバスも運行中…。

さて、このような喧噪の中、今年はなんと長唄三味線の演奏というプログラムがあったのです。しかも神楽舞台の上で。松永鉄九郎さんの単独ライブです!さぁ、どうなることよ、つづきは明日(_´Д`)ノ~~

2009年10月22日木曜日

カンガルーの皮ですか?!

松竹がやっている歌舞伎公式ウェブサイト「歌舞伎美人」のシリーズエッセイ「歌舞伎の一品を手に入れる」に「三味線」が出ていました。
http://www.kabuki-bito.jp/special/tepco/37/index.html

登場したのは、「根ぎし 菊岡三絃店」三代目の堀込敏雄さん。(でも、歌舞伎の舞台で活躍する三味線方など、プロの演奏家だけを顧客にもつというお店だそう。素人さんでも相手にしてくれるお店じゃないとシリーズテーマからいって意味ないんじゃね?と思いましたが、とりあえず、プロの話は面白いので、いいことにしましょう)

web用の短いエッセイですが、興味深い話題も…。最近では三味線の皮が入手しにくくなっているというお話はきいたことがありましたが、新しい皮としてなんとかものになりそうなのがカンガルーの皮だとか。しえぇ〜。皮を求めてオーストラリアですね。

芸を支える楽器職人さんの技術継承も深刻ですが、材料の調達も本当に厳しい状況なんですね。象牙も輸入できないので糸巻きや駒、撥なども作れなくなっていると聞きました。材料を求める職人さんたちの努力も大変なものがあると思います。

伝統芸を守るためには、それを支える職から守っていく必要が本当にあるんですね。



2009年10月21日水曜日

中村屋若太夫「錦秋特別公演《芯》」

朝いつもより30分早く出勤してイレギュラーな仕事を片付けて、午後休(取り損ねた夏休みの代休)とって、盛岡行きの新幹線に飛び乗りました。
目的地は、岩手県民会館。盛岡、久しぶりです。
会館の前にどどーんとそびえる岩手県民のスローガン。直球です。

脇の方にもありました。ロマン…さすが宮澤賢治の里ですね。

で、お目当ては↑これでした。
中村勘太郎・七之助錦秋特別公演《芯》
http://www.zen-a.co.jp/kinshu/

毎年秋に企画される中村屋若太夫錦秋公演。今年はS市素通り(あんまりだ…)なので、いちばん交通費の掛からない盛岡でみようと電話予約開始の日にチケットを確保したんですが、こんなク○忙しい時期にかぶるとは…。無理矢理な午後休はきっと一部訝しがられていることでしょう。

今年の錦秋公演は趣向をかえて、太鼓の林英哲さんと津軽三味線の高橋竹童さんとのコラボレーション公演。

前評判が高かったらしく、会場1時間前に着いたのにすでにお客さんがベンチや待合所に座っていました。まさか、これ全部《芯》がお目当てのお客さんってことないよね?と思ったのですが、そうでした。しかも、さあ開場時間だと思ってその方向にいくと、ものすごい数の人が初詣のように並んでいて「最後尾はこちら!」状態。指定席なのに、なんで?なんで?と、“開演して暗くなったあとでもお客が入ってくるのが当たり前”感覚のS市民はカルチャーショックでした。

それだけじゃなく、開演後も盛岡のお客さんってなんとなく暖かい。すごく待ち望まれている感覚を演じ手の方々も感じられたんではないでしょうか?

で、公演ですが。
のっけから英哲さんがかっこよく決めて、大太鼓の響きが会場を一つの楽器のように振動させて盛り上げ、会場の余熱上がる上がる。若手の「英哲風雲の会」も奮闘してました。見せる太鼓の創始者とも言うべき英哲さん、ドラマチックな演奏もさることながら、舞台効果や演出にもかなり気を使っていました。背中は顔ほどものを言い…とは言わないけれど、大きな太鼓の円い面が日光のような光彩を放って、その前に位置する英哲さんの細マッチョな背中は、美しかったと言うべきでしょうね。若手の誰よりも均整が取れていて、感服しました。魅せますねぇ。

英哲さんのステージパフォーマンスに比べたら、竹童さんの津軽三味線の舞台効果はフラットでしたけれども、盛岡は三味線好きの人が多いのか、随所随所でわぁっと拍手がおきて、いい感じで盛り上がりました。民謡をアレンジした曲だったのも良かったし、胡弓で奏でる「風の盆唄」は大陸的な雰囲気もあって新鮮でした。即興で見せた超絶早弾きや棹弾きも凄かった!けど、…撥のおしりでも弾いてましたよ…、どおよ?それは。

で、いよいよ勘太郎丈と七之助丈。
前の演奏でテンション上がりまくっておりますので、どうなることかと少々心配でしたが、「二人椀久」は難曲ですものね、そちらの緊張感の方が凄いというか、気合い入っているのが伝わってきました。上方の踊りらしく、七之助丈は遊女ながらもはんなりとした気品とはかなさがあって、古い時代のお雛さまのようでした。本当に拝見するたびに成長著しく嬉しいばかりです。襲名間近な勘太郎丈もその狂人ぶりがキていて惹きつけられました。

踊るお二方も気合いが入っていましたが、この演目をリードしていたのは長唄連中・立唄方の杵屋巳津也師匠だったと思います。とても艶とのびのある美しい声がビーンと会場に響いてきて心地よいこと、踊り手もきっとそうだったことでしょう。「二人椀久」っていい曲だなぁ (* ̄ー ̄*) 
太鼓や津軽三味線のような派手さは無いし、この場合主役は踊りですが、長唄だって負けていないぞという存在感を十二分にアピールできていたと感じました。声も楽器なんですよね。巳津也師匠、大注目です。

最後は出演者総出演(長唄以外)での、コラボレーション《芯》。
これは、演出・振付が藤間勘十郎師匠、音楽監修が田中傳左衛門師匠と林英哲さんだそうです。(傳左衛門師匠、歌舞伎座に出ていたのにどうやって?と思いましたが、監修でしたのね)難しい仕事だったと思いますが、巧く出来ていたと思います。ステージとしてとても面白かった。どうやら英哲さんの胸を借りた感じですが、若太夫2人の身体能力の高さが見事なので、あまりちぐはぐなものになっていなくて良かった。もっとたっぷりあっても良かったな。お二人にとっては記念碑的な作品になるのではないでしょうか?ちなみに、お姫様じゃない素踊りの七之助丈もかなり「萌え」でした( ^ω^ )

こればかりでも困るのですが、これも確実に歌舞伎役者の成長に糧になるんでしょうね。

それにしてもこの公演、昼夜二回です。驚異的な体力ですね、彼らは。このあと23日は徳島、24日は大阪だそうです。無事に千秋楽を迎えられますようお祈りする次第です。踊り上手な兄弟なので、錦秋公演はいつも楽しみ。来年は是非S市にも寄っていただきたく…。

昼の部終わって会場の外に出たら、雨でした。タクシーに並ぶ人の列も初詣のようでした。

2009年10月19日月曜日

習うより慣れろ…とは言われるけれど

10月31日の発表会を前に、虫六には超えねばならないハードルが1つあるのでした。

それは「着付け」であります。

お三味線を志す上は、着物を着るということは、避けては通れぬ絶対条件でございます。去年は、大学の恩師・N先生の奥様に必殺五回連続特別講座を実施していただいて、なんとか一人で着られるようになったのでしたが、発表会当日のホテルで、姉弟子さんからの「手伝ってあげようか」という申し出を丁重にお断りして、教科書本を開きながら着付けして驚かれた(というか、呆れられた?)のですが…(だって、いろんな着せ方があって、誰かに別なやり方でしてもらうと自分で直せないじゃないですかぁ(;;;´Д`)ゝ)。それ以来、一度も着物の袖を通すことなく過ごしてきて、すっからかんに忘れていました。

「お稽古のときに着てくればいいのよ」とは言われていたんですが、お稽古の前は一夜漬けならぬ直前練習で、とてもそんな余裕はありません。夏は暑くてとてもそんな気になれないけれども、春にも秋口にもチャンスはあったのにずるずると先延ばし、すでにのっぴきならない状況になっています。発表会まで、あと10日足らず…、しかもこの間、休日出勤を含めぎゅうぎゅう詰めのスケジュールがまってます。悠長に着付けの練習を決行する時間はありません。

しかし、誰かに着付けてもらう…それは出来れば避けたい。
自分であっさり着れるようにならないと意味がないのです。

そんなわけで、今日しかない!と午後のお稽古出発2時間まえに着付けを決行することにしました。2時間あればさすがになんとかなるだろうと( ̄ー+ ̄)b。しかし、昼過ぎに先生から電話が掛かってきて、打ち合わせするから30分早く来なさいと…。なんですと〜ぉ!!!

慌てて着始めたのですが、本当にすっかり忘れています。下着の上にタオル帯何本するんだっけ?腰紐ってどこでまくんだっけ?お端折りは…????例により教科書首っ引きで遠い記憶をたどりながら、着たり脱いだり、だらだら汗かきかき、なんとか帯まで結んで時間を見れば!…先生に来いと言われた時間の10分前…(爆)帯揚げとかきれいに整える余裕もなく、車に三味線を乗っけて駆りだしたのでしたー。しえぇー((゚゚дд゚゚ ))!! 

苦労の末に着付けたので、記念撮影しました。お稽古帰りなので、すでに着崩れてますかね。気安さ重視で紬を選択、お下がりの黄八丈。
帯は自分でお誂えした「皿に魚の骨」の図柄…お腹側の模様は猫の足跡です。この人を食ったような柄が気に言って昨年買ったのでしたが、秋らしくていいかと。案の定「貴方らしくて面白い、可愛い」と先生や姉弟子からも好評でした。ま、いいか。

黄八丈にぴったしだろうと銀子姐が誕生日にくれた黄色い鼻緒の下駄もデビューです!バッチグでしたよ、姐さん(*゚▽゚)ノありがとう。

そんなわけで、全然大丈夫じゃないお三味線の練習に加え、さらなるプレッシャーが押し掛かる今日この頃でした〜。本番は袋帯の二重太鼓だし、どおする虫六?!

2009年10月18日日曜日

香菜(シャンツァイ)16周年

近所の台湾屋台料理屋「香菜(シャンツァイ)」が開店16周年で、麺類半額セールをやっていたので行ってきました。

このお店は、虫六子が生まれる前からご愛顧にしている中華やさんで、シナそばがおすすめです。たまに行くと虫六子を見て「大きくなったねぇ」と目を細められます。もう、16年かぁ、こんなご時世で続けていけるとは立派だなぁ。

久しぶりで行ったので、お祝いかねて、麺だけじゃなくいろいろ注文して食べました。食べ過ぎてみんな苦しくなって帰って来ました。これからも繁盛してほしいです。

2009年10月17日土曜日

20世紀メディア研の特別研究会

早稲田大学・20世紀メディア研究所主催の特別研究会「占領期・大衆文化はどう変わったか」に行ってきました。

この校舎、先日の『ブラ・タモリ』で見ましたな。

この研究会は、『占領期雑誌資料体系 大衆文化編』全5巻(岩波書店)の刊行を記念したシンポジウムでした。

終戦直後、我が国のメディアは占領軍の検閲下にあったわけですが、その検閲資料は、当時の連合国総司令部民間検閲局(CCD)に勤務していた米国メリーランド大学教授・ゴードン W. プランゲ博士が、歴史的価値に注目し、検閲終了後、米国機関で一括所蔵・保存することに努め、現在はメリーランド大学に寄贈され所蔵されています。「プランゲ文庫」と呼ばれる資料群です。
「プランゲ文庫」は、1945年から1949年にかけて日本で刊行されたすべての出版物(図書・雑誌・パンフレット・新聞)、検閲文書、ポスターなどを収集した膨大なコレクションで、早稲田大学の山本武利教授を代表とするプロジェクトチームがデータベース化をすすめ、公開しています。
http://m20thdb.jp/login

そのデータベースを活用しつつ、各ジャンルの専門家が研究成果を公表してきたそうですが、その研究グループをリードしてきた方々が改めて資料の評価や精選を行い、解題・解説を加えて、今回のシリーズの刊行になったそうです。
最初の刊行となったのが「大衆文化編」で、このあと文学編の刊行は決まっていて、うまく売れるようなら生活・世相編、思想編…と続くとのこと。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/028241+/top.html

山本先生の占領期のメディア研究では、紙芝居の検閲についての貴重な論文があり関心があったので、出かけてみることにしたのでした。

内容は、
1.<問題提起> 占領期における大衆文化をどう捉えるか : 原田健一 新潟大学教授
2.大衆文化における断絶性と連続性について : 佐藤卓己 京都大学准教授
3.音楽・映画における問題 : 古川隆久 日本大学教授
4.産業としての映画における諸相 : 井上雅雄 立教大学教授
5.写真はいかに展開したか : 白山真理 日本カメラ博物館運営委員
6.ディスカッション
7.『文学編』編集委員からの発言 : 川崎賢子 早稲田大学講師/十重田裕一 早稲田大学教授/宗像和重 早稲田大学教授
  司会・石井仁志(『大衆文化編』編集委員)

参加自由の研究会とはいえ、刊行記念という性格上、かつ会場に来ている人はほとんどが関係者であろう研究会なので、刊行された書籍の内容はみなさん分かっていることが自明のようで(そのわりに会場で書籍平積みしていたんですが…)、勉強不足の虫六にはその距離を埋めるのがしんどかった部分もあり、ほぼ4時間半(途中休憩10分のみ!)ぶっとおしだったので久しぶりで勉強したなぁと感じでしたが、内容は興味深いものもありました。

最初の佐藤氏がたっぷりやって、その中で問題提起された「占領期言論空間の断絶性と連続性」というテーマが議論の中心になっていたようで、今メディア研究界の関心事はこのあたりなのか…と知りました。ただ、あとの方々が押せ押せになったのはちょっと残念。

面白かったのは井上氏のお話しで、終戦・占領期を通じて映画界を飲み込んだ混迷・パニックの状況、「青い山脈」のヒットの意味、世論調査の読み解き方、それから当時の映画界で影響力を持っていた会社としては松竹、大映の存在が大きいかったはずだけれど「プランゲ文庫」には東宝の資料以外はほとんど収録されておらず、そのことの意味するものという指摘も示唆にとんでいました。井上先生の「文化と闘争 東宝争議1946-1948」読んでみようかなと思った次第です。

今回いちばんツボだったのは、古川氏が指摘したアマチュア文化(アマチュア音楽団体の様相、アマチュア写真の広がり)をどうとらえていくかという問題提起で、「鉄道写真は?」という例を出されたのですが、これが正に私が直面している問題でビックリ。内心どきどきで聞き耳をたてたのですが、ただ「古川氏は実は鉄ファン」という事実をカミングアウトする形でどっと笑いが起きてしまい、そこで話題が切れて残念でした (||li`ω゚∞)

しかし、文学編の編者である宗像和重氏がこのあとの文学編で私的冊子や同人誌などの著作権と公表を巡ってナーバスな問題があるということを話されていて、こういう立場の方なので、国立国会図書館・国際子ども図書館の「子どもの友」投稿者捜し事件などは当然ご存じだろうとは思うけれども、いずれ、匿名・無名の表現物をどう公表すべき資料として取り扱うかという問題は避けて通れないものになっていくという確信を得た次第です。

特に、今後ブログを通じて匿名で表現することが当たり前になってくると、著作権をめぐる問題も再考を余儀なくされるだろうし、そういうものの取り扱いの指針を示す立場に近い方々には今から考えておいていただきたいです。

鉄道写真に関して言えば、その歴史と広がりを思えば、際もの趣味としての別途取り扱いのままでは文化的損失は多大だと日々実感しています。その理解のなさから、貴重な写真が撮影者の死去にともなって散逸してしまうという現状も憂慮すべきなのです。紙芝居資料の将来を考えても暗澹たるものがあるけれど、趣味の分野の範疇にあるモノは、文化財的価値を想定しにくく、本当に取り扱いが難しいです。

古川氏が宗像氏の問題提起に対して、「あまり怖がらないでやってみる(出してみる、だったかな)ことが大事で、いろいろ出てくるかもしれないけど、それは起きてから丁寧に対処するでどうですか」と述べていて、基本的に賛成!と思いました。大衆文化編の編集代表の原田氏も「ケアが大事」とおっしゃっていました。ケアすることをおっくうがって、結果として残すべき文化財を散逸させたり廃棄させたりする道を行ってしまうことの方が研究者としての責任を果たしていないと言う気がするのでした。

それにしても、紙芝居資料については1ピコグラムも話題にのぼりませんでしたな。このシリーズ買おうかな、どうしようかな…。今は金欠なので、年明けにでも考えよう。


せっかく来たので、演劇博物館に寄ってみました。いま開催中は「新派展」と「大田省吾展」。団体さんがギャラリートークを受けていました。「新派展」をゆっくり見ていたら、時間がなくなって「大田省吾展」にいけませんでした(;´▽`A`` 1Fに展示されていた花柳章太郎が「滝の白糸」の兼六園の場面で身につけたという、白地に濃納戸で首ぬきに扇の模様を染め出した衣装が、えらく粋でかっこよかったです(*´Д`*)鏑木清方のデザインとのことでした。

帰りの新幹線で、加藤和彦氏の訃報を知りました。軽井沢のホテルで自殺…!!驚きました。氏の残した音楽に感謝しつつ、合掌。

2009年10月16日金曜日

ゆるいマーク

私の職場はいわゆる別棟にあり、ほぼ毎日、本部に用足しに行かなければならないのです。


別棟から本部までの間は私有地が立ち並ぶ坂道で、庭木が茂っているお宅から枝が飛び出してきて、季節を感じることもあります。今日は、赤い実を見つけました。秋ですね〜。(やっぱり携帯のカメラはいまいちですね〜(`ε´) )

門のところまで歩いたら、植木屋さんが一服入れているところでした。敷地内全面禁煙なので、門が喫煙所になってしまうのでしょう。

…こういうところがけっこう多いですね。先日も、虫六子の校門の前を通りかかったら先生がプカプカやっていました。私は喫煙しないので分かりませんが、これ はかっこ悪いと思います。校門で吸わせるくらいなら、ちゃんと換気処理ができる喫煙所を儲ける方がいいのにな、と思います。


で、まぁ、喫煙タイムの植木屋さんの横を通り過ぎようとしたら、目に入ってしまいました。御用車(ライトバン)のハラにこんなステキなゆるいマークが!!!なんだか、すべてどうでもいいような気分になりました。

2009年10月14日水曜日

山口から「再流」

猿舞座の村崎修二さんからチラシが届きました。


「再流」

 笛が風にのり 太鼓は地に響き 想いは舞になる
 ふたたび集まり ここから流れる

とき 2009.10.25(日) 14:00開演
ところ 岩国市玖珂町 こどもの館
入館料 全席自由 3000円

出演 風花(プンファ)
   石見の風
   花法師(はなほうし)
   李 陽雨(イ・ヤンウ)
   浅草雑芸団・上島敏昭
   猿舞座

構成・演出 村崎耕平(猿舞座)

主催 「再流」実行委員会
連絡先 0827-84-4167、090-4652-4823(村崎)

若頭・耕平君演出の舞台のようです。

…岩国ですか、大阪よりさらに遠し… ( ̄◆ ̄;)
でも、『獺祭』の里ですな。

2009年10月13日火曜日

大阪の街頭紙芝居

大阪・三邑会の古山千賀子さんから「街頭紙芝居 新人養成講座」のお知らせをいただきました。
平成21年度下半期大阪楽座事業採択企画「続 大阪発!ほんまもんの街頭紙芝居展!」

第1回街頭紙芝居 新人養成講座“あなたも町かどのヒーローに!”

日時 平成21年11月6日(金) 18:00〜20:30
       11月7日(土) 10:00〜16:00
対象 紙芝居に関心のある18歳以上の方(定員20名)
参加費    5000円
申し込み方法 往復ハガキに氏名・住所・年齢・連絡先を明記して郵送、または電話・FAX・メールでも可。
       (10/31消印有効。ただし定員になり次第しめ切り)
申込先    〒545-0011 大阪市阿倍野区昭和町5-5-3
       大阪発!ほんまもんの街頭紙芝居展を成功させる会 大塚宛
       TEL:06(4399)0366、FAX:06(4399)0367、tamasra@gmail.com
会場 フジハラビル1BF 大阪市北区天神橋1-10-4
       TEL:06(6351)6352
主催 塩崎おとぎ紙芝居博物館 http://www.gaitoukamishibai.com


*今年はじめに話題になった紙芝居師になって月収1千万とか言うやつとは、別の動きですよー。念のため。
チラシと一緒に、「三邑会はひとつになって街頭紙芝居を守って、伝えて、一緒に笑う」というメッセージが添えられていました。大阪の皆さんもがんばっているんですね。

2009年10月12日月曜日

鯛鍋と清酒「獺祭」

家人が出張の帰りにぶら下げてきた清酒「獺祭」を持参して、ガスパパ&ガスママさんちに晩ご飯をごちそうになりに行きました。
ガスパパ親方の今日のお品書きは鯛鍋です。うひょ〜ヽ(´▽`)/

奥に控えしハンサム君が、当家の若旦那ガスパール君です。

はじめは、鯛しゃぶを紅葉おろしと巣立ちポン酢でいただいたあと、鯛のお出汁がきいたところで豆腐や野菜を投入、仕上げは雑炊という、贅沢メニュー。
鯛のカマは焼いていただきました。
おカシラの中には、「鯛の鯛」が入っていました。

持ち込みのお酒『獺祭(だっさい)』は、山口のお酒で、このあたりで取り扱っている酒屋はないそうです。
辛いというほどでもないけれどスッキリしていて、優しく深みある芳香の美味しいお酒でした。

蒸し野菜の肉味噌添え、塩辛、がんもどき煮…と、日本酒にあうお品書きが勢揃い。
贅沢な晩餐でした。

ちょっと過ごしたかなぁ…というところで、ジンジャーエールをごちそうになりました。
このジンジャーエールは、濃縮シロップを炭酸で割って飲むタイプのもので、はじめ我が家でちょっとしたブームになっていたのを、先日米沢に行ったときにお土産屋で見つけて、ガスパ家におすすめしたものでしたが、なんと!それ以来このシロップにはまって箱買いしてしまったそうな…!
「仕事で帰ってきた時に、まずジンジャ〜!って1杯飲むと美味しいんだぁ」という話をきき、お風呂上がりにコップ1杯しか飲ませてもらえない我が家のちまちま飲みの現状と照らしあわせて、羨望の思いをとどめる事のできない虫六でありました(爆)

食事のBGVは、ジェフ・ベックのライブ番組。ゲストにエリック・クラプトンが出てきました。若いベーシストの女の子が好評で、酔っぱらった大人たちが虫六子に「ベースやったら?カッコいいよ!」と持ちかけていましたが、迷惑そうにしてました。

ガスパパ親方&ガスママさま、ごちそうさまでした!!!!(毎度ありがとうございます!)

2009年10月11日日曜日

『定本 日本浪曲史』

注文していた『定本 日本浪曲史』(正岡容著・大西信行編 岩波書店)が届きました。


正岡容氏は、小沢昭一さんの師匠です。
「唯一の浪曲通史であり浪曲研究でもある幻の名著」と言われた『日本浪曲史』の再版のようですが、本編のはじめに小沢氏と大西氏の対談が、本編のあとに天龍三郎先生(現役浪曲師)、桂米朝師匠と大西氏の座談会が掲載されています。
自分で歯が立つのかどうか分かりませんが、じっくり読みたいです。

2009年10月10日土曜日

深夜帰宅

世の中3連休ですが、出勤日。しかも、人手のないカコクな作業につき、もちろんサービス残業で、もうすぐ日が変わる…
上司は相変わらずお仕事丸投げで、昨夕は打ち合わせすっぽかして早めのご帰宅。昨日送った9項目の確認メールにも返事無く、今日は様子うかがいの電話1本よこさない。
愛するマダムと温泉にでも逃避行でしょうか…┐(´(エ)`)┌
勝手にやっちゃてますけどいいんですかぁ?

できあがった仕事を見に来た人は、こんな状況を想像してくれるわけもなく、妥協した産物を目にするだけと思うと、著しく切ない。

2009年10月9日金曜日

犬印鞄製作所のトートバッグ

浅草の会の帰り道ぷらぷら歩いていたら「犬印鞄製作所」の店舗を見かけ、「ちょっと興味あったのねぇ」とふら〜っと入って、いきなり衝動買いしてしまいました。


ちょっとちっちゃめのトートバックです。
紫は「犬印カラー」と、お店の人がいっていました。
A4の書類は入らないのですが、自転車のかごにはピッタリ(=゜ω゜)b
お買い物や観劇バックにしよっと。
るんるん。


その場で、ネームを入れてくれるというのでお願いしたのですが…
「し」の字が… ( ̄◆ ̄;)

気が小さいのでそのままいただいて来てしまいました(爆)
そのうち、愛着が沸くでしょう、きっと。

2009年10月8日木曜日

「時分の花」と「まことの花」_歌舞伎座10月公演その2

歌舞伎座10月公演の夜の部は、通し狂言『義経千本桜』でした。


『義経千本桜』は、『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』と並んで義太夫狂言の3大名作と言われています。3つの作品は、人形浄瑠璃の作品として延享・寛延年間のたった3年の間に作られ、いずれも大阪竹本座で上演されており、それぞれ合作者制度によって3人の作家が幕ごとに担当を分けて競作していたそうです。ですから、時代背景や起きる事件は違うのですが、3つの作品は全体を通してみるとよく似た物語の構造を持っています。

『義経千本桜』の場合は、全体の主人公は源義経と静御前、武蔵坊弁慶ということになりそうですが、源氏との戦いで討ち死にしたはずの平家の貴公子たち(知盛、維盛、教経)が身をやつしながら実は生きているという素っ頓狂な設定で、史実とは違う3つの虚構の物語を生んでいます。

3つの物語は、
二段目「渡海屋・大物浦」が船宿の主人に身をやつしながら安徳天皇を庇護している知盛が復讐のチャンスをねらって最後の決戦に挑むけれども、ついには碇とともに海に沈んでいく壮絶な話、
三段目「木の実・小金吾討死・鮓屋」が、いがみの権太という不良息子が父親が維盛を匿っていることを知り、自分の女房・子どもを犠牲にして親孝行しようとするけれど、誤解されて父親に刺されて死んでしまう話、
四段目「吉野山・川連法眼館」が、義経が静に預けた宮廷の重宝「初音の鼓」は雨乞いの時に千年の劫を経た夫婦狐の皮で出来ていて、その子狐が親を慕って義経の家来の佐藤忠信に化けて静に付き従って旅するのだけど、川連法眼館の館で本物の忠信が現れて正体がばれてしまう話
…(乱暴なプロット解説ですみません)となっていて、今回はそのうち、二段目と四段目の上演という事になります。ちなみに歌舞伎と言えば『勧進帳』(!)の義経・弁慶は、『義経千本桜』とは関係ないみたいです。

いやはや、蘊蓄が長引いてスミマセン(;´▽`A``

今月は
二段目「渡海屋・大物浦」
 渡海屋銀平・実は知盛_吉右衛門
 銀平女房お柳・実は典侍の局_玉三郎(なんと初役1)
 ほか(←これまた省略してスミマセン)
四段目
 忠信_菊五郎
 静御前_菊之助
 逸見藤太_松禄
という顔合わせです。

四段目は特に音羽屋の当たり役ですからね。目をつぶってもやれる感じで、不遜な言い方をすれば緊張感を感じないというか、どこかリラックスした感じでした。実は、虫六は20年以上前の歌舞伎デビューの頃に音羽屋の狐忠信を見たことがあります。その時は動きも切れがあったし、ケレンな仕掛けにも悉くはまって面白かったので、印象深く覚えていたのです。音羽屋さんもあとン年で古希らしい。そう考えると、欄干の上でぴょんぴょん跳んで見せたり、ぐるぐる回ったりしているその身体能力たるや恐ろしいですね。しかもリラックスした感じで。

そんな枯れの境地にさしかかってきた(なんてこと言っていいのかな?)菊五郎丈と対照的に、芳香を放っていたのは菊之助丈の静御前なわけです。

菊之助丈は、見るたびに何故か「時分の花」という言葉が前頭葉に浮かんできます。(中村七之助丈にも最近特にそんな感じあるんですが)
「時分の花」という言葉は、世阿弥が『風姿花伝』の中で、「観客に感動を与える力を「花」として表現している。少年は美しい声と姿をもつが、それは「時分の花」に過ぎない。能の奥義である「まことの花」は心の工夫公案から生まれると説く。」(Wikipedia参照)と表したその「時分の花」の事ですが、虫六は原書を読んだわけでもないので、「イメージ・時分の花」ですね。文脈からするとあまりいい意味ではない感じ。しかし、「花」というからには、たとえ俳優だからといっても誰でも持っているものでもないわけで、気品であるとか、立つだけで放たれるオーラとか、耳さわりよく通る口跡とか、いろいろな点から菊之助丈には大輪の花を感じさせられるのでした。で、こういう存在感を「時分の花」と言うのだろうか?と思うわけです。

で、そう考えると、玉三郎丈などは「時分の花」の時期を超えて「まことの花」の領域に入っているのだねぇ…などと、ひとり納得していたのですが、今回その考えを訂正しなければならないエピソードが昼の部でありました。

ちょっと話がそれますが、私は昼の部の客席が好きです。特に花道脇の辺りは、役者さんの後援会や友の会筋からチケットを買っている芝居好きのキャリアの長そうなご婦人方と隣り合うことが多く、「最近膝が痛くて…」とか「○○さんのお坊ちゃんもお嫁さんもらって…」とかいう話と同じレベルで芝居や役者さんの噂噺が飛び出してきて、田舎ものの虫六はカルチャーショックをおこしながら、耳をそばだててしまうのです。

それで、今回、『蜘蛛の拍子舞』の時でした。玉三郎丈が白拍子姿の美しい女性から、女郎蜘蛛の正体がばれて隈取りの妖怪の姿に変化し、頼光・綱と派手に戦う段になったときです。

 おばあちゃん1「あら、玉三郎どこ行ったのかしら?」
 おばあちゃん2「そうね。あの人別の人よね?」
 虫六・心の声(ええ?!あの、玉三郎いますけど…あの舞台の中央に…)
 おばあちゃん1「隠れちゃったのかしらね?」

これどうですか?のんきな会話と聞き逃せない、玉三郎丈の抱えているやっかいな課題を見た気がしました。

最近、六代目中村歌右衛門という俳優に関心があるのですが、たとえ政治的とか言われようと、舞台の上での大成駒屋さんの存在感というのは圧倒的だったのだろうと思うのです。私も映像や写真でしか見ていないので断言は出来ないのですが、特に晩年の成駒屋さんは、単に美しいを通り越してグロテスクな雰囲気すらあったように感じるのです。何人かの劇評家がニュアンスの違いはあるのですが、異口同音に、美しさと黒々とした闇とが同居したような歌右衛門の存在感について書いています。たぶんですね、いったんこういう「美」を知ってしまうと、洗練とか完成度とか、そういうことだけでは満足できない「美」の基準が出来てしまいますよね。すると、「まことの花」の基準は単純に「時分の花」の延長にはないということかなと思います。清濁入り交じった、現と怪しの境目が分からないような存在感。そういうものを含み込んだ「美」なのでしょうか。物の怪の隈取りをしても「玉三郎、こわーい」と誰にでも分かる揺るぎない存在感を持っていないとならないのでしょう。

最近の玉三郎丈は、あまりお姫様ものをやらなくなって、能狂言や変化ものなんかが多いような気がするのですが、それはこれからの方向性なのかも知れないし、彼自身の中にも満足していないものがあるのかも知れませんが、先のおばあちゃんの発言からすると、玉三郎丈にもまだまだ伸び率が用意されているんだなぁと感じたわけです。本当に歌舞伎役者の修業の道は奥深いなぁ。

というわけで、来月は義太夫狂言の3大名作のひとつ『仮名手本忠臣蔵』の通しだそうです!
こりゃ大変だぁ。
仁左衛門丈の由良之助であります。観に行けるのかなぁ、虫六…?

 

2009年10月6日火曜日

でもって、今日は文楽

早朝の新幹線に乗って、昼前にS市につきました。今日は働き過ぎを調整する(てか?)代休日。午後からお稽古を入れていただいたので、さっさと帰ってきたのです。2日ばかり遊びほうけていて三味線に触っていません。お稽古時間がずれたのをいいことに、少し練習してからいきました ( ̄◆ ̄;)

でもって、今日は文楽。年に一度の文化庁後援の地方公演です。

【昼の部】
 卅三間堂棟由来 平太郎住家より木遣音頭の段
 本朝廿四孝 十種香の段、奥庭狐火の段

【夜の部】
 絵本太閤記 夕顔棚の段、尼ヶ崎の段
 日高川入相花王 渡し場の段

出演:【太夫】豊竹嶋太夫 ほか
   【三味線】鶴澤清治(←聞きたいのはこの方です)ほか
   【人形】吉田蓑助 
       桐竹紋寿 ほか

ですが、誰がどの演目をやるのかはポスターではわからない。
自分のスケジュールが見えなかったので、平日だしとりあえず夜の部のチケットだけキープしたのですが、結局お目当ての出演者はことごとく昼の部でしたね。そもそも人間国宝になってしまったような御大は、夜まで仕事なんかしないのか…。さすがの虫六も学習せざるを得ません。でも、年に一度やってくるのはほぼ平日だし、一般的就労者には昼の部キープは難題ですね。

しかし、今年も夜の部にしようと思った動機付けはもう一つありました。

それは、歌舞伎舞踊の「日高川入相花王」が人形振りで踊られるので、もとになった文楽の演目を見てみたかったのです。で思ったのですが、文楽という芸能も、人形にリアルな動きをさせるというより、所作事というか義太夫にあわせて踊らせる動きの方が主なる動作なのだろうかということでした。泣いたり、すがったり、戦ったりしてましたけども、義太夫が乗っている時は基本的に踊っているみたいに見えました。
また、文楽の義太夫の方が、長唄や(もしかすると)歌舞伎の竹本よりも、言葉が聞きやすいという印象を持ちました。大阪弁のイントネーションなんだろうと思うのですが、予備知識を入れずに見ていても、何を言ってるのか意味が分かって面白かったです。太棹の音も心地いいですけどね。

ところで、尼崎の段の公演中に三味線の糸が切れて張り替えるという離れ業を目撃してしまいました。浄瑠璃は基本的に太夫一人に三味線が一人なので、アクシデントが起きるとごまかしがきかないですが、付け替えている間は、豊竹英太夫がここははじめから一人語りという感じで演じていられて、三味線の鶴澤清介さんがするすると手際よく糸を張り替えて、あっという間に微音で調子を合わせて、ここぞ!というところで「べべん!」と。鮮やかでした。

それにしても、鶴澤清治さんの三味線を今年も聞き損ねてしまい、残念至極(爆)

明日は歌舞伎座10月公演のつづき(のつもり)

2009年10月5日月曜日

たっぷり観さしていただきました_歌舞伎座10月公演

浅草にやってきた翌日は仕事が休みだったので、ついでに歌舞伎見物をして帰ることにした。(っていうか、かなり計画的に…)

建て替えが決まっているので、歌舞伎座前にはカウントダウン看板、あと208日だそうです。



今月は、
昼の部
 一、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
 二、蜘蛛の拍子舞(くものひょうしまい) 花山院空御所の場
 三、心中天網島 玩辞楼十二曲の内 河庄(かわしょう)
 四、音羽嶽だんまり(おとわがたけだんまり)
夜の部
 通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
 渡海屋
 大物浦
 吉野山
 川連法眼館

これ、昼夜通しで見てしまいました。

お目当ては、玉三郎丈の「蜘蛛の拍子舞」です。花道脇の席だったので、初っぱなからオーラの放射線を浴びながら拝見しました。びびびびびぃ〜〜。
大成駒屋が復活させた演目らしいです。女郎蜘蛛の妖怪の白拍子が玉三郎丈で、頼光=菊之助、綱=松禄と音羽屋の若手がつとめます。手踊りやら拍子にあわせて語りながら踊って見せたり、ちょっと変わった舞踊劇でした。いつもの一分の隙もない玉三郎丈の踊りとは違う雰囲気で、「たっぷり!」を期待して行ったので、ちょっと肩すかしを食ったかな。でも、ちらっと蜘蛛の本性を覗かせるところは巧かったですよ、妖艶でしたー。
本当はこういう踊りにこそ巧さが光るのでしょうね。勘三郎のかっぽれとかね。

舞台は大輪の華が3つ咲いたよう、蜘蛛の糸を何回も派手に広げるので、舞台の絵面はとても華麗。

まだほとんど初日だったせいか、大和屋が蜘蛛の巣玉を踊りながら仕込むわけですが、それを懐に入れてあるのをまさぐっているのが間の隙間に見えて、(後半には手慣れてそんな事も無くなるだろうと思うと、)お得なものを見た気がしました。しかし、常に完璧な大和屋でもそんなことがあるのですね。

で、眼目の長唄さんですが、
三味線の立は、な、なんと杵屋勝国師匠!!贅沢、贅沢。(やったね、パパ!明日はホームランだ!)若手注目ナンバーワンの杵屋勝十郎さんもしっかり控えておりました( ^ω^)。お唄は、杵屋直吉師匠が立唄で、松永忠次郎さんのお顔も見えます。お囃子は田中伝左衛門社中!
やっぱり、大和屋さんは揃えてきますね。
これだけでもとが取れた気分です。

昼の部では、三津五郎丈が歌舞伎十八番の「毛抜」に挑戦。個人的には、時代がかって、かつ、馬鹿馬鹿しい大らかさがあってこのお芝居が好きなのですが、初役の三津五郎丈も持ち前の明るさが生きていい感じでした。そして、これまで正直ピンと来たことはなかったのですが、やっぱり團十郎の「毛抜」もまたいいんだなぁと思い返した次第です。

同じ演目を違う俳優がつとめるというは、歌舞伎ならではなのかも知れませんが、面白いものだなぁと思いました。

「河庄」は上方のお芝居で、藤十郎さんの当たり役。お相手小春の時蔵丈が、本音を隠して堪え忍ぶ役でGoodでした。「音羽嶽だんまり」は、松禄の長男・大河君の初お披露目の演目。口上は菊五郎丈と吉右衛門丈と富十郎丈だけですが、そのあとだぁ〜〜〜〜と七福神のように大物俳優がいろんな装束で出てきて、賑やかでした。さすがに凄いなぁ、御曹司デビューともなると…。


というわけで、つづきはあさって。

全部見終わったら、すっかり夜が更けていました。

2009年10月4日日曜日

偽りと知りながら見る人多し_浅草見世物

浅草雑芸団の上島さんからご案内をいただいた「国際浅草学プロジェクト 浅草見世物 奥山の風景」に行ってきました。


せっかく行くので、なにかお役に立てればと雑芸団にお手伝いを申し出ると、見世物絵看板の写真をとったりさわったりされないように見張りをしていて欲しいとのこと。

普段は警備の目を盗んでちゃっかり1枚撮って帰る口なのに、今日は立場が逆なので、目付き悪く携帯電話など取りだそうならば「おらおら〜」と散らし飛ばさなければなりません。しかし、私はアウェイ組のはずなんですが何故かお顔の知った方がたくさんいらして、ご挨拶やら世間話やらしてしまうんですが、どうも任務が押しかかって気が気でない…。会話が半端になってしまった皆々様、大変失礼いたしました人( ̄ω ̄;)

で、「浅草見世物」これが想像以上に充実した中身でした。

まず、圧巻は私も警備をお手伝いした「見世物絵看板」です。

7枚くらいあったかな、会場のホワイエにいきなり露出展示して見せていたのですが、この絵がとにかく迫力です。気合術とか蟹男とか蛇女とかタコ女(誕生の図というのもありました)とか、そのグロいモチーフもさることながら、極彩色のカラーリング(染料のけばけばしさですね)といい、迷いのない筆遣いといい、全てが凄い。街頭紙芝居絵の原点はこっち側にある感じですね。蟹男の顔が赤城圭一郎だったり、ビキニスタイルの女性のナイスバディが今時の萌えキャラとは違って、胸は小さめ、下腹がぽこん…とモデルの体型に妄想が入っていないところが妙にリアルだったり…、見れば見るほど飽きないし、濃いよぅ。本当に写真が撮りたかったけど、我慢しました。

ので、ここでも心のシャッターで。(今回、季語がないので川柳ってことで…汗)
 因果絵は 顔は二枚目 蟹男
 絵看板 綺羅がごとくに張り渡り
 見世物絵 いまや至宝となりにけり

絵看板の手法を完成させたのは福岡県の絵師で志村静峰という人らしい。でも、後継者のないまま昭和46年になくなったそうです。遅かった…。

そんなわけで、同じホワイエで上演していた桐生の竹田からくり人形と和ボットの方は、人波の頭越しにちらりと見るだけで口上のみで想像するような感じだったけれども、いづれ機会があったらじっくり見たいです。特に、桐生の人形芝居は、慙愧丸の時にも助っ人をしてくれたM山ちゃんが一生懸命関わっていたので、楽しみにしていたのです。ちょっと手強そうなおじいちゃんたちをうまくリードして、けなげにもり立てている姿はひたすら感心させられました。若いってすばらしい、がんばれ!M山ちゃん。

で、ホールのメインプログラムですが、学術講演が二本、

川添裕氏の「浅草と見世物、大道芸」と姜竣氏の「紙芝居と街路の文化様式ーその広がりと日韓比較ー」。どちらも楽しみにしていったのですが、30分は短かったのか、本領を発揮されないままもったいない感じでした。特にいちばん後ろで見てしまったせいで、投影されるパワーポイントとか全然読めなくて、席取り失敗しました。とはいえ、会場にいらした方々は、専門家の人だけじゃなくて台東区民の方々の多かったので、入門的なお話しになることには意味があったのだろうと思います。

今回、来て良かった(!)感がいちばんだったのは、「人間ポンプ」といわれた安田里美さんのドキュメンタリー映像とその未人である春子さんの「タコ娘」の泣きタンカをフルバージョンで聞けたことでした。映像はもっと長いものを抜粋編集したものらしいので、いつか全編をみたいです。安田さんの芸については、鵜飼正樹著「安田里美一代記」を読んでいたのと、映像もテレビ(たぶん小さいとき、「大正テレビ寄席」だったと思う)で見たことがありましたが本物を見たことはなかったのです。

飲み込んだ碁石を色分けして出してみせたり、金魚を釣り針で胃袋から釣り上げたり、ガソリンを飲み込んで舌を出して見せ火を噴き出す芸…、本当に実際にみたことは無いのに、もの凄く既視感があり、なんだろうこの感じは…と背筋がぞくりとしました。イメージだけで強烈な印象を受けていたんでしょうね。それにしても、あんな奇芸を人前で見せていた芸人さんがいたんだなぁと思うと、ただ感嘆するばかりです。

春子さんの泣きタンカも本物が聞けて、嬉しかった!しびれました〜!

それから、長口上のあとの瞬間芸「ろくろ首」。浅草雑芸団の持ちネタです。上島さんの蘊蓄前説が長い長い。でも、「偽りと知りながら見る人多」い芸が「ろくろ首」とのことなので、口上が大げさであればあるほど「ろくろ首芸」としてはアリですね。小馬鹿にされる快感ってやつですね。

最後は、日本手品の「和妻」。もともと日本にあった手品は「手妻」と呼ばれていたそうです。「妻」は手先仕事のことらしい。それが明治以降、西洋のマジックが流入してきて「洋妻」と「和妻」と区別されるようになったとか。「和妻」は不思議をことさら強調しないのが特徴だそうです。

「金輪の曲」というリング芸は、見立てが入って、太神楽や猿まわしとも同じだなぁと思いました。また、「蝶のたわむれ」は、1枚の紙切れを蝶に見立て、それが2匹になり、卵を産んで命が絶え、やがて花吹雪のようなたくさんの蝶に生まれ変わって舞うという、テーマもパフォーマンスも美しい芸でした。藤山新太郎さんの身のこなしが日本舞踊を見るようでした。

いいものを見せていただきました。

浅草の大道芸…奥深いものだなぁと、つくづく満腹になって帰ってきました。雑芸団の皆々様、大変お世話になりました。


会場で写真が撮れなかったので、カッパ橋のカッパ君を…。


ついでに「満月−1夜」写真。本当は浅草で撮りたかったのですが、浅草通過中は月が見えませんで、江東区の某所で ( ̄◆ ̄;)


2009年10月3日土曜日

S市の十五夜です

今日は十五夜だそうな。
S市でみた中秋の名月…けっこうきれいに見えますよ、今年は。

仕事のあとでY木山の方にいったので、お城の近くとかZ宝殿のあたりとか、テレビ塔の近くとか…名所と満月をセットで見ながら通ってきたんですが、結局、お姿を撮れたのは自宅に帰ってからでした(苦笑)

月、高いなぁ。

ひさびさ1句。
 名月や 新酒に浮かべ ペロリかな
 (今日のメニューは戻り鰹づくしでしたー)
もう1句。
 夏もなく いつの間にやら満つる月