2011年10月21日金曜日

「震災のあとで〈表現する〉こと」を聞きにいく

メーディアテークせんだいのオープン・カフェに「震災のあとで〈表現する〉こと」を聞きにいきました。

出演:いがらしみきお、クマガイコウキ
司会:南蛇楼綾繁
2011年10月21日(金)
18:00〜19:30
せんだいメディアテーク1F オープンスクエア


クマガイさんが新しい詩を読むというので、とても楽しみだったのと、なんといっても月刊IKKIの表紙にもなったというあのチラシの絵を描かれたいがらしみきおさんの話は万難を排して聞かなければならないと、直感で確信して足を運んだわけです。

もちろん、いがらしさんとクマガイさんは師匠と弟子というか、原作者と監督というか仕事上の相棒でもあるわけで、気が置けない間柄と申しますか、普段の息の合った会話を公開したというような感じなので、(本当は緊張もあったかも知れませんが)、はじめからラフな雰囲気で差し障りありありなギリギリのトークショーでした。

はじめは詩の話。
震災以後、文筆を家業にする作家の文章でそれを描いたものに出会っていない。誰もが現実に捕まれて身動きできない状態にあった。ツイッターを含めて、自己肯定を求める言葉ばかりで息が詰まりそうだった。言葉からいちばん自由であるはずの詩人もまともな表現をしていないことに、「違和感」があった…と。
余裕(アソビ)があってはじめて表現はできるのに、こう言わなければいけないから言っているかのような言葉の氾濫。それをもてはやす社会。
(…正直、私も違和感だらけでした。)

2人とも気になる詩人は「まどみちお」さんとのことで、クマガイさんは震災後に書いた何編かの詩の中から「仮称松岩と四千万円とマッチ売りの少女と私たち」を朗読。さすが、詩のボクシング宮城県代表。津波に襲われた気仙沼信用金庫から現金四千万円を盗み出した事件をモチーフに詠った、ハードボイルドチックな映像的な詩で、一本映画が撮れますね?監督。他の詩も、朗読して欲しかったです。あの津波や瓦礫の映像を見ながら、監督はこんな詩をイメージしていたんですね。
いがらしさんは、実は「詩作は苦行」とか言い訳しつつ、まどさんの物真似の読み方(うけてました)で新作の詩「地震のこと」を朗読してくれました。これが、震災以来もやもやしていた気持ちの奥に滑り込んでくる良い詩でした。(*翌日のNHKのローカルニュースの特集でいがらしさんが取材されていて、詩の一部が出ていたのですが、原発に触れたくだりや肝心の部分が割愛されていて、NHKもダメだなあと思いました。)
ネットのどこかに発表していないかな?と思いましたが出ていませんでした。
最初のフレーズはこんな感じなんですけど…「地震のことを地震にきいてみた 地震はこたえてくれない しばらくしたら地震が言った。でも生きていくんだろ? 僕は答えた。まぁ、そうだけど。…(中略)生きているのがなんだか悔しいことがある。…」う、お伝えしたいです。

いがらしさんは、月刊IKKIに「I(アイ)」という連載を発表していて、東北を舞台に生と死、神の存在を探すという(これ、直球じゃないですか?というような)哲学的命題をテーマにした作品で、その第一巻目の単行本が8月に刊行になり話題になっています。凄い作品です。この巻の最終話を編集に届けた翌日にあの地震が来て、シンクロニシティとかそういう感じも超えて、震災を自分がよんでしまったようで気味が悪くなったそうです。
(うわぁ、見えですまったの。)
そして第二巻目からは震災後に描かれた分となるわけで、物語の続きとしても、いがらしさんの表現の分岐としても、興味を持たずにいられません。何か振り切れるような作品になっているらしい…すでに。
と、いうわけで、もし「I(アイ)」を未読の方がいたら、ご一読をお勧めします。

いがらしさんは、仙台の事務所で被災されたあと、津波にのまれた七ヶ浜地区に行ってみたそうです。そこで、呆然とその荒景を見て、ただ見て、その波の中に沢山の人が沈んでいることを思い、「ここには俺が出来ることは何もない。」とすごすごと仕事に戻ってとにかく漫画を描いたそうです。しかし、いつかこれを描かなければいけない時がくるだろうと、目を反らさずに全てを見ておかなければならないと思っていたそうです。
被害者でも加害者でもなく、ただ自分の情けなさや不甲斐なさを受け入れて、自分がなすべきことには確信を持って、その時を待っている。

こういう表現者がいたことにちょっと救われる思いがしました。

トーク後、質問コーナーがあり、会場から「まだ仮設に住んでいる人もいるし、原発も進行形で、メディアもウソばっかりついている状況で、震災がもう終わったかのような前提で話をするとはどういう了見か…」というような発言があり、ちょっと会場が緊張したのですが、ここはクマガイさんが先鋒で「政治的なことはいろいろあろうし、メディアに対する不信感もありましょうが、自分はそういう次元で表現しようと思っていない。」と切り返し、(あにき〜ぃ!)って感じだったのですが、その言葉をいがらしさんが継いで「震災は過去形にしなければいけないんです。少なくても表現のレベルでは過去形にしなければ何も進まない!」と断言していて、いきなり手榴弾を投げてました ( ̄◆ ̄;)

(ああ、この作家はもうとっくに<震災後>の表現に取り組んでいるんだなぁ)


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