2011年11月20日日曜日

遠刈田温泉で骨休め

昨日はシンポジウムに顔を出させていただいたあと、家族と待ち合わせて、雨の高速道路を飛ばして遠刈田温泉に。ひぃ。
来週から虫六が人生最大級のイベントのため、しばらく(10日ほど)留守にするので、家人Tが温泉宿泊の旅をおごってくれました。久しぶりの家族(小)旅行です。

向かった先は、遠刈田温泉「大忠」
見かけは小さいけど、10室限定で行き届いたサービスと美味しいお料理とお風呂でリピーター・ナンバーワンの温泉宿だそうです。
いや〜、骨休め、骨休め。

夕食も虫六子が激写したんですが、品数多過ぎるので、省略(;´▽`A``
(大忠のホームページみてね)
写真は朝食メニューです。随分久しぶりで朝ご飯をおかわりしてしまいました!
それにしても食った、寝た、風呂入った〜。部屋に高級マッサージ椅子が置いてあったので、心ゆくまでマッサージしてしまいました。

すっかりリラックスしていたら、夜中と朝に地震があって焦りましたが、茨城震源で大きいやつでした。まだ余震が続くねぇ。原発大丈夫かなぁ。

せっかく遠刈田まで来たので、久しぶりで鞄屋さんのテルズコレクションに寄り道。
震災後初めての訪問だったので、K澤さんご夫妻と、震災の時の話とかなんとか話が尽きず…。
がんばろうねぃ。
11月はよく見られるらしいのですが、遠刈田の高原に大きな虹が架かっていて、感動的に美しい風景でした。


杜の都の鉄道フォーラム

お仕事でお世話になっているJR東日本文化財団さんが、シンポジウムをするというのでお邪魔しました。

○『東北本線全通120周年記念 杜の都フォーラム ―鉄道の旅 ふたたび東北へ!―』

日時: 2011年11月19日(土)13:00〜16:10(開場12:30)
会場: トラストシティカンファレンス・仙台
(宮城県仙台市青葉区一番町1-9-1 トラストシティプラザ5階)
参加無料〔定員200名 事前申込制〕

【講演者とテーマ】

高階秀爾(大原美術館館長)「文化メディアとしての鉄道」

芳賀徹(静岡県立美術館館長)「詩人たちの東北!芭蕉から啄木、賢治へ」

菅建彦(交通協力会理事長)「作並から始まった新幹線への道」

高木博志(京都大学人文科学研究所准教授)「鉄道が来た頃の仙台―戊辰戦争からの軌跡」

鳥海靖(東京大学名誉教授)「後藤新平と災害復興」

老川慶喜(立教大学経済学部教授)「日本鉄道と東北観光」

平山昇(立教大学経済研究所常勤嘱託)「社寺参詣と鉄道―東北の事例から」

高嶋修一(青山学院大学経済学部准教授)「栗駒山観光開発と鉄道」

資料解説: 奥原哲志(鉄道博物館主幹学芸員)


東北の鉄道と観光、歴史や文化等をテーマに、多ジャンルのお歴々が貴重な資料を紹介しながら「鉄」講義。沢山の先生方が登壇されるためにひとりひとりの時間が短くて、それぞれの方の暴走加減が面白かったです。特にH先生(笑)。美術・文学・近代史…鉄道は煮ても焼いても食べ応えがあるんだなぁ。
ハガキに寄る応募性だったようなんですが、すぐに締め切りに達したそうで、会場は空席無し。さすがJR東日本&河北新報社の主催・共催は宣伝力ありますね。鉄道のメディア力をまさに実感しました。

講演は近く書籍化されるそうなので、お話の中身については、それを待ってくださいまし。



2011年11月15日火曜日

水俣病から福島原発事故を考える 水俣・白河展講演会

○水俣病から福島原発事故を考える
   水俣・白河展講演会

日時:2011年11月13日
会場:ホテルサンルート白河
主催:水俣・白河展を開く会
共催:アウシュヴィッツ平和博物館・水俣フォーラム
【プログラム】
司会あいさつ 竹下景子(女優)
主催者あいさつ 小渕真理(水俣・白河展を開く会代表・アウシュヴィッツ平和博物館館長)
講演 森 達也(映像作家)
講演 緒方正人(漁師・水俣病患者)
 (休憩)
講演 鎌田 慧(ルポライター)
座談 森 達也・緒方正人・鎌田 慧・竹下景子
おわりに 実川悠太(水俣フォーラム事務局長)


○覚え書き
(*テープ起こししてまとめたものではありません。ときどき集中力を欠きながらメモしたものから書き出したものであることをご了解ください)

【森 達也】
・「メディアの不作為」について。
よく東電・政府・メディアが一体化してウソの情報を流していた!?と言われるが、そこまでメディアは劣悪ではなかった。しかし、後手に回ったのは事実で、メディアの機能を果たしていなかった。それは事態がよく分かっていなかったからだろう。
事故当時、メディアは原発に入れない、現場にいけなかった。(しかし、入るべきだったと今は思う。)
メディアは人が作っているものなんだから、幻想を持ってはいけない。懐疑的に接するべき。
リテラシーとは元々「識字」のことで、活字メディアが中心の時代は文字を理解する教養が必要だったので、マスメディアになれなかった。しかし、映像(映画)・音響(ラジオ)の発明によってマスメディアが成り立つようになり、その結果、20世紀前半にはナチのような全体主義を生んだ。映像と音が一緒になったテレビはさらに功罪が大きく、メディアはもともと負の作用を持っている。テレビはさらにネットに融合しようとしている。近い将来、メディアはインターネットに収斂されて行くだろうが、それはとても危険な状況である。
・「集団化」について
大きな災難や国難になったとき人は群れる。弱い動物は群れ、強い動物は群れない。人間は非常に社会性の強い臆病な動物だ。震災でも水俣でも、人間の本性として「同調圧力」が働く。そもそも「頑張れ日本」というようなメッセージは被災していない人たちが胸に秘める言葉で声高に発する言葉でない。しかし、被災地の惨状を目にするとサバイバーズギルト(生き残っている罪悪感・うしろめたさ)があるから「まとまろう」とか「誇り・品格」という言葉を言いたくなる。
19世紀は侵略戦争があったが、20世紀は自衛戦争。それを支える集団の意向を伝えるのがマスコミ。メディアは日本をこうしようああしようという気がなくてもそっちに行ってしまう。
原発は現在54基作られ、隠していたわけでもない。でも「安全神話」というものがあり、見逃していた。
モンゴルにはこんな言い伝えがある「羊は頭が悪いから家族が困る、山羊はずるいから家族が助かる」羊は保守的でそのままにしていると動かないので草を根こそぎ食べてしまう。山羊はあちらこちらと動き回る。日本人は羊度が高い。山羊が必要、適正な山羊な数だけ山羊を入れる必要がある。ハイチ31万人、四川9万人、スマトラ20万人が亡くなった。でも、それは他人事だった。いま自分たちがもつ後ろめたさを持って山羊度をあげれば、たぶん日本は変わる。自分たちの意識が変われば、メディアが、国が変わることができる。

【緒方正人】
私は不知火の魚の代理人としてここに来た。日本に54基も原発をつくっておきながら「事故」という表現に違和感がある。水俣はチッソ工場の産廃不法投棄「事件」である。不可抗力の響きがある。
水俣では胎児性患者の年齢が50歳代になった。生まれ育った町が現場で、この問題から逃げられない。「水俣病の時代に生まれ育った」という認識。
海の異変は昭和17年には起きていたが、水俣病の公式認定は昭和31年である。敗戦の時には、すでに次の問題が浮上していた。
「水俣病は文明病の立ちあらわれ」であった。
福島第一原発では海に放射性物質が放出されているが、他の生き物への気遣いがない。プランクトンは?魚は?金でごまかすことは人間社会でしか通用しない。地球や他の生物へは全く通用しない。謝罪できるとしたら金ではない。では何なのか?
保証金は、手切れ金代わりである。そんな金はいらない。自分の初心は狂い死にした親父(緒方さんのお父さんは急性劇症方水俣病でなくなった)の仇討ち。しかし、チッソとは何か?と問い続けて「チッソは自分であった」という答えに行き着いた。
「東電とは何なのか?国家とは何なのか?」
福島の人たちはまじめに生きていたのに、国から棄てられた感じ、誰を信じていいか?という感じを持っていると思う。
しかし、国家は化け物である。
チッソは「JNC」と社名変更した。これは「偽装倒産」みたいなものだ。文明が現代社会の中で最も危ないものの象徴。電化製品に囲まれていながら、「原発反対」には矛盾がないか。外なるチッソ、内なるチッソ、被害者でもあり加害者でもある。
「国」には2つある。①制度国家としての日本、②生国としての日本。生国に毒を撒いてしまった罪深さ。苦しんでいるのは、人間だけでなくて土地そのもの、他の生き物。人間に「目覚めて欲しい」と言っている。本当の豊かさとは何なのか…?ひとりひとりの問い直しが求められている。
ここに住む方向性をこれ以上国に左右されなくてもいいのでは?日本の保険制度、健康制度、年金制度などがものすごいスピードで壊れている。
フクシマと水俣の共通点は、人間の産業社会が生命世界を壊しているということ。別枠の問題でない。責任主体としての人間の真価が問われている。

【鎌田 慧】
7月31日原水禁の大会で原爆の被爆者と原発の被害者が会った。あってはならない出会いだった。「何のための原発反対運動だったのか?」原発を反対しながら、原発の体制を受け入れてしまった。原発の安全利用(アイゼンハウアーの平和利用宣言以来、黙々とやられてきたことに)という大ウソに何の抵抗も出来ていないなかった。中曽根がたてた23500万円の予算は広島に落ちたウラン235の語呂合わせ…など。
昔から「白河以北一山三文」と言われたが、日本の原発の半分が東北にある。奥羽越列藩同盟じゃないけれど、明治政府にこてんぱんにやられたところには原発が押しつけられている。
六カ所村の寺下村長の話。

原発がなければ原爆は作れない、つまり、核武装に繋がっている…とアジルことはできるけれど、そういうことではない。原発をやめたとしても、この先膨大な金が掛かる。
人間が全てコントロール出来ると思ってやってきた。何故か?安いから。しかし、それどころでない事態。経済的な保障だけでなく、子供たちをどうしてくれるんだ。
フィンランド映画「10万年後の安全」の話。
来年の3月11日 福島で大江健三郎さんらと大集会をやります。
___

大友良英
2011年4月28日 東京芸術大学での特別講演から抜粋
「…(前略)…福島の人たち、原発に怒り狂ってると思うでしょう? 怒ってますよ、もちろん。怒ってるけど、言えない感じもあるんですよ。それは福島に育った人なら分かると思うけど、福島のいろいろな土壌もある。原発を推進してきたという負い目ももちろんあるけど、そんなことじゃない。

その本質的なことは何かというと、さっきのナイフの例えになるんですけど、ナイフで刺されて倒れている人がいるとするでしょ。まだ息はあって死んではいないし、病院に運べば大丈夫という人がいる。その人の前に、突然、東京から元気な正義感に燃えた人が来て、「ナイフ、ヤバイっすよね。ナイフ反対運動をしましょう!」と言うのにニュアンスとしては近いと思うんだよ。それはマズイ。マズイというか、まだその時期ではない。それよりも、そのけがをしている人たちをどうしたらいいか、という問題がひとつ。

だけど、ナイフで差されたけがならお医者さんのところに連れて行って縫えばいいよね。だけど今回のけがは、僕は、福島だけの話ではなくて、東京の人も含まれると思うけど、やっぱり「心」だと思うんですよね。「心」とか、オレ、今まであんまり、恥ずかしくて使わなかった言葉なんだけど、心の傷を治していくのは精神科のお医者さんだって言われるかもしれないけど、そういう傷とも違うんですよね。個人の問題ではなく全体が傷を負っている。その大きな原因は、これはもう素朴に、自信を失っていることだと思うんですよ。」

よく分からないけれど、虫六が福島のことを思うときに、何かしら心の引き出しから出てくるのは、この大友良英さんの言葉だったりする。フクシマの人たちはうまくナイフが抜けた状態なのだろうか?…回復に向かうコンディションはまだ整っていないと思う。本当は自信を取り戻すために何をどうすればいいか?そういう示唆を求めているんじゃないのかな?いずれフクシマで「原発再稼働」なんて思っている人がいるとしたら、それはもう狂っているとしか思えないもの。
もちろん、話をくれた人たちは、現場をもって闘って来た人たちです。そして、震災の後ですぐに現場に入っています。フクシマのおかれた状況を誰よりも分かっている人たちだと思います。だから、より慎重に言葉を選んでいるのかも知れなかったのですが、虫六個人としては何となく消化不良のまま、帰りの新幹線に乗ったのでした。

【今日の蛇足】

金欠につき、行きを各停で、帰りは紙芝居ネットワークの定例会があったので時間に間に合わせるために新幹線に乗りました。何とか安く行こうと格安チケットを探したけれど、「白河」というちょっと微妙な駅だったので、うまいチケットが見つけられず、帰りだけ新幹線の回数券を買いました。ところが緑の窓口で白河までの乗車券を買おうとしたら、「小さな旅ホリデーパス・南東北フリーエリア」なる切符を紹介され…。行きが2900円余りのをエリア内乗り降り自由で2500円。特急券を買えば新幹線にも乗れる…。つまり帰りの乗車券分2900円弱が丸損つことでした!!!勘弁しろよ〜であります。
しかも、定例会に行ったら会員の参加なし。世話人2人とゲストのKさんで四方山話をして帰ってきました。どすか?

なんだか、へとへと。



2011年11月13日日曜日

水俣・白河展

11月13日水俣・白河展の講演会を聞くために白河市へ行ってきました。
講演会は午後からですが、展覧会も見たいので、朝7時発の東北本線・各停にのって出発(東京で遊びすぎて金欠のため、行きは各停乗り継ぎということに…)。

白河駅に10時半頃ついて、展覧会会場の「マイタウン白河」へ。
講演会の日と言うこともあるのか、けっこう見ている人も沢山いました。

1時間くらいで見られるかなと見当を付けていったら、けっこう中身の濃いボリュームもある展示で、じっくり見ていたらあっと言う間に30分。奇病の原因を突き止める動物実験の映像に(メチル水銀化合物を盛られたネコが発狂する様子でありました…Σ( ̄ロ ̄lll)…)ぞぞげ立ちながら見入っていたら、「いまから1時間ほどのギャラリートーク」をはじめますという案内があったので、これしかないとツアーに同行。
水俣フォーラムの方の切れのいい解説で、展示会場を案内していただき、水俣病問題の全容をとりあえず頭に入れました。

水俣病という恐ろしい公害病に苦しむ被害者の実態、国家と国策として守られた大企業「チッソ」の責任逃れと被害者の闘争の歴史、水俣病を生んだ環境破壊の恐ろしさ、汚染によって奪われた豊かな海と人々の穏やかな暮らし…などなど、写真やパネルで詳しく紹介・解説されていて、自分がこの問題にいかに無知であったか、自覚しました。有名なユージン・スミスの写真もありました。丸木位里・俊夫妻の「水俣の図」はありませんでした。
20年以上も前になると思いますが、新潟水俣病をテーマにした「阿賀に生きる」というドキュメンタリー映画を観たのですが、その後、あえて水俣病に関心を持つこともなかったのでした。

展覧会は、水俣フォーラムが主催して、これまで東京(1996)を皮切りに、豊橋、つくば、高畠、大阪、沖縄、浜松…と各地で開催されていて、この「水俣・白河展」も震災の前から、白河市にあるアウシュビッツ平和博物館が受け皿となり企画され、実現したものだそうです。
福島原発事故問題をフォローするテーマで「福島市でも南相馬市でもなく、なぜ白河?」と思ったのですが、そういうことのようでした。

そんなわけで、展示そのものも他の地域で展示された内容と同じようで、あくまで「水俣病」を伝える内容、福島に関する内容はありませんでした。
しかし、この先に福島の住民が背負っていくであろう国や東電との長い闘争や病理との戦いを覚悟するには余りある内容でした。水俣病は、問題が収束(国家が蓋を閉じようとする)に向かっては別の問題が出てきて再熱し、また収束され掛かっては別の真実が分かり…と55年に及ぶ長い戦いの歴史があり、まだ解決されていないのでした。国は2007年7月に「水俣病被害者救済特別措置法」を成立させて、九州・不知火海沿岸の水俣病や新潟水俣病の未認定患者を申請が認められれば210万円の一時金や、医療費が無料になる水俣病被害者手帳を支給して救済するとした一方で、加害企業「チッソ」の分社化を認めて(水俣にあったチッソの工場は「JNC」という子会社になってしまったそうです)事実上の免罪をしたと聞いて、その企業の汚い手口や、とにかく問題を終わらせようという国の姿勢に背筋が寒くなりました。
この先、東電がどういう手で責任逃れをするか、福島の人たちだけでなく、よくよく注視して行かなければならないと思いました。

とはいえ、この展示が虫六が期待していた内容だったかというと、正直不十分でした。

福島原発事故のあと、水俣病資料館で「福島原発風評被害_水俣の経験を伝えたい」という展覧会が行われているとニュースで知っていたからです。水俣の人たちは国の対応を求めながらも「自分たちが変わらなければ」と環境都市として生まれ変わることに50年ものあいだ努力されて、クリーンな「水俣ブランド」をつくりあげたというもう一つの歴史を持っています。その土地の立ち直り方に、福島を応援するひとりとして、具体的なヒントが欲しかったのですが、そのことに関する内容はありませんでした。
それはちょっと残念。何か理由があったのかな?

とにかく、展示を急ぎ足でみて、講演会会場へ向かったのでした。






2011年11月11日金曜日

平成中村座11月大歌舞伎 昼の部_「待っていたとはありがてぃ」

浅草のホテルに泊まって、平成中村座の昼の部にも出かけました。

昨日とはコースを少し変えて、隅田川沿いに歩いていたら、ずっとスカイツリーが見えていました。できあがっちゃってますね。

今日は、上手寄りですが最前列のお席です。
虫六は小柄なので、前に人が座っていないというだけでストレスが緩和されますです。
ありがたい。

昼の部

一、双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
   「角力場」

  濡髪長五郎        橋之助
  山崎屋与五郎/放駒長吉  勘太郎


二、お祭り(おまつり)

  鳶頭鶴松  勘三郎


三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
   「渡海屋」「大物浦」

  渡海屋銀平実は新中納言知盛  仁左衛門
  女房お柳実は典侍の局     孝太郎
  入江丹蔵           勘太郎
  源義経            七之助
  武蔵坊弁慶          彌十郎
  相模五郎           橋之助

昼の部の眼目はなんと言っても勘三郎丈の「お祭り」でありましょう。
長かった勘三郎丈が不在の歌舞伎界…。大向こうさんも、「待ってました!」の掛け声に力が入ります。先代の勘三郎も病気療養のあとの復帰公演で、同じように「お祭り」を舞い、同じように「待ってました!」の掛け声をうけて、「待っていたとはありがてぃ」とセリフで受けたそうですが、ホントみんな待っていましたよ!本歌取りじゃないけど、こういう昔を受けての演出というか出し方って、日本人は好きですね。基本的に、ストレートに出さないところが、美徳なんでしょうかね。型を借りて、出る方も見る方も気持ちを盛って伝えていて、そこが面白いのですよね。いつか完全復帰した勘三郎丈の「春興鏡獅子」を再び見たいと思いますが、毛振りして身体が悪くなったら困るので、少しずつ治してください。観客としてずっと付き合う覚悟です。
清元は延寿太夫…(* ̄ー ̄*)。先日、芸能百花繚乱で見たばっかりで、予習していたので、聴き入ってしまいました。
(しかし、この演出でもバックヤード開けるんだよね…、(`◇´*) しょうがないなぁ)

「双蝶々曲輪日記」では、橋之助丈が貫禄あってイメージが変わりました。夕べの日本駄右衛門もそうですが、線の太い立役になってきたということなのでしょうね。父・芝翫丈の告別式が行われたばかりで、すぐに舞台…。役者って大変だなぁ。
それはそうと、一番前でみることができたので、角力らしくみせるための演出の工夫が分かって面白かったです。「双蝶々〜」は先日、この続きの部分を文楽公演でみました。同じ演題でも歌舞伎で好まれる段と、文楽で好まれる段は若干違うってことでしょうかね。

最後は「義経千本桜」の「渡海屋」と「大物浦」。
知盛役が仁左衛門丈です。近松ものも南北のピカレスクもしびれますが、丸本歌舞伎の仁左衛門丈は神々しさが眩しいです。大石内蔵助しかり、菅相生しかり…。口跡の良さも大きいと思われ、複雑な設定の物語で小難しいセリフでも、不思議と仁左衛門丈のセリフで聞いているとストーリーがすんなり入って来ます。かつ、セリフが心に残る。
…これって、欲目でしょうか?欲目なんでしょうか?
白い甲冑姿で現れる知盛も、その鎧に血糊がついて満身創痍の知盛も、碇もろとも大物浦に身を投じる知盛も…。印象的な名場面ばかりです。歌舞伎座の公演だったら、生写真の大量購入と行きたいところでしたが、平成中村座では生写真は売ってなかった(後半売り出したら泣きますが…)ので、破産しなくて済みました(爆!)

満腹状態で小屋を後にしたら、朝より天気が回復して、スカイツリーがもっと近くに見えました。

隅田川もたっぷりの水を湛えています。今度はゆっくり水上バスにでも乗りたいところです。

隅田公園に連なる花川戸は履き物の問屋さんが並んでおります。
虫六も、お浚い会終了と平成中村座にやってきた記念に(?)、「みゆき」さんにて草履をゲット!理想通りのやつを三割引きで見つけて、えらいGoodなお買い物でした。

平成中村座の帰りには、お履きもののショッピングがお薦めです。

荷物を預かってもらっていた夕べの宿に戻り、帰り支度をして雷門通りに出てきたら、ここからもスカイツリーが見えました。どこから見ても大きいなぁ。

虫六子にリンツショップのチョコをリクエストされていたので、有楽町までやってきました。
歌舞伎座の建築現場にはすでに建物らしき構造物がありました。ひと月前は穴を掘っていたのに!!変化が早い。…とか、定点観察していたらお土産買う時間が無くなってしまい、お土産は黒船のノボラスキュに変更。いやはや。

黒光りしつつ満喫した、お浚い会&平成中村座で今年は見納めですかね。(ちょっと早いけど… (;´Д`A ``` )羽を伸ばしすぎて、お財布がピンチ…。
帰って大人しくお三味線の練習します、です。

【今回のおみやげ】
平成中村座の売店で買った小山三さんのストラップ。にまっ。

2011年11月9日水曜日

平成中村座11月大歌舞伎 夜の部「沼津」ほか

6日、紀尾井町の某ホテルで昼過ぎまでのんびり過ごし、先生方とお別れして、黒い欲望を隠し持っていた虫六がやってきたのは、浅草です。

ふふふ…( ̄ー+ ̄)
そう、今月から浅草隅田公園では「平成中村座11月大歌舞伎」が掛かっております。
勘三郎丈、満を持して(?)東京に大復帰の舞台であります。待ってました!!!しかも、今月付き合うのは(!!)片岡仁左衛門丈!!!!(*≧m≦*) 
観に行かない理由が思いつきません。


何はともあれ、お浚い会の無事の終了を浅草の神様仏様にご報告がてらお礼参り。浅草寺にも観光客が戻ってきたようです。

浅草寺のウラから隅田公園に歩いて行く途中で、猿若町の看板を発見。ここら辺にあったんですね、芝居小屋は…。隅田川はすぐそこです。

あ、太鼓やさんのトラック発見!

芝居小屋も近いですかね?

ちょっと雨模様ですが…、提灯やら幟やらが見えてきて、テンションが上がってきました。

平成中村座の提灯。ロングランの間、ずっと沿道を照らすのでしょうか…。

酒樽も例によって積み上がっております。
入り口付近で、好江夫人と愛夫人がお出迎えしておりました。

なんと〜。花道の脇ですねん。
しかも、平場の一番後ろなので、虫六の席のすぐ後ろに階段がセットされております!!!
「沼津」で、十兵衛(仁左衛門)と平作(勘三郎)が花道にあがる階段ですよ〜。ということは、お二人が私めの真後ろで一芝居するってことですよ。うっ!(…しばし気絶)

そんなわけで、夜の部は…

一、猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)

   猿若     勘太郎
   出雲の阿国  七之助
   奉行板倉勝重 彌十郎


二、伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)
    「沼津」

   呉服屋十兵衛 仁左衛門
   お米     孝太郎
   池添孫八   彌十郎
   雲助平作   勘三郎


三、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
    「浜松屋より勢揃いまで」

   弁天小僧菊之助 七之助
   南郷力丸    勘太郎
   赤星十三郎   新 悟
   浜松屋伜宗之助 国 生
   忠信利平    彌十郎
   日本駄右衛門  橋之助

よく言われますが、平成中村座は本当に役者と観客の距離が近くていっしょにお芝居を作って行く感じがストレートに伝わるエネルギッシュな磁場を持つ芝居小屋です。
何もかも近いんですよ。

「猿若〜」は、勘太郎丈の踊りの巧さが冴える舞台。こういうきびきびした踊りがよく似合います。勘九郎襲名を控え、勘三郎の代役をこなしての大きな成長、また長男誕生と、公私ともに充実の勘太郎丈。脂がのっているってこういう状態をいうんですね、きっと。
七之助丈も頑張っていました!が、お役的に猿若の方が見せ場が多いので、ま、支えにまわったと言うことで。
この舞踊の演奏はなんと「直吉・勝国」でして、先月の玉三郎公演に引き続き…、ありがたや〜!嬉しくて、思わず新幹線で帰仙中の先生にメール打っちゃいました。
しかし、どうもこの小屋は地方さんにはちょっと厳しいかもですね。音楽があまり響いてこないような気がしました。しかも、(以下ネタばれ注意!)踊りの最後にバックヤードを開けて、屋外を借景で見せる演出は、「現代の猿若」って印象もうけるし視覚的には効果がありますが、長唄の演奏はかき消されて超残念 (;´д`) 
「勝国さぁん、虫六は悲しかったよ〜」

「夏祭浪花鑑」のようなお芝居ならベリーグッドなラストシーンと思いますが…。なんでもあけばいいってもんでもありませんよね。

「沼津」は、勘三郎丈の本格復活のお芝居でもあり、仁左衛門丈との共演でもあり、眼福。仁左衛門の十兵衛が当たり役ってのはよく知られているところで(カッコ良すぎますから〜)今さら何も言うことはないのですが、勘三郎の平作もこれから何度も演じられていくのでありましょう。コメディみたいなのに、目が笑っていなくて、物語最後の悲劇にきっちり繋がっていくところが、役者の巧さを感じさせました。
それにしても、虫六の観劇癖が加速したのは、3年前の平成中村座「仮名手本忠臣蔵」で、間近30センチくらいで仁左衛門丈の大石内蔵助を拝見して以来、どうも自制心というブレーキが効かなくなっているんですよね…。「沼津」は役者が舞台から客席の方まで降りてきて、お芝居しながら花道に戻っていく演出が面白いわけですが、今回も後ろや脇や上の至近距離でお芝居が展開されて、夢空間のようでした。
勘三郎丈も1ヶ月公演は大変でしょうけれども、無理しない程度に、身体を慣らして、ずっと末永く現役でいて欲しいと、本当に心から祈念した次第です。

最後は、七之助の弁天小僧で「弁天娘女男白浪」。とかくお兄ちゃんの勘太郎丈の活躍ばかりが評価される昨今ですが、七之助丈の成長も見るたびに著しいなぁと思うのです。今回の弁天小僧もスッキリしたイケメンぶりが、そうなんだよな、弁天小僧ってイキがった美少年なんだよな〜とリアルな説得力を感じました。
そして、この人は六代目菊五郎の曾孫であった(!)と、これまた納得。(←いえ、六代目のことは見たこともないんですが…)
勢揃いの見栄では、すこし力みが入って、「ばり」というか夾雑な印象が気にはなりましたが、そこは伸びしろ、もっと洗練していってくれると思います。
今回、七之助丈は昼の部でも女役ではありません、真女形でいくか兼ねる役者でいくか…なんてことも考えていたりするのかなぁ?あ、ちなみに七之助丈も間近で拝見しましたが、文句なく美しかったですね。
勢揃いといえば、新吾丈が大役でちょっと緊張しているのが伝わってきました。傘を持つ手が…。つい昨日、自分も経験したので、(比較にはなりませんが)このようなサラブレットでも舞台では緊張するのかと、なんだか応援したい気持ちになりました。
それからそれから、「弁天娘女男白浪」の下座三味線は越後獅子の合方だったのですね。そんな発見があって、ウキウキしました。個人的に…。


夜の部ひとりで、あとは宿に帰って寝るだけなので、「平成中村座」の今月の特製弁当を予約してました。松茸ご飯や風呂吹き大根を器した炊き合わせとか、全て美味しかった。1800円と多少高いなと思ったけど、仕事がしてあるお弁当だったので納得しました。
月替わりなので、またの機会があったら、また食べよっと。

それから、今回凄いと思ったのは「おトイレ」ですね。
10年で10倍になったとか言ってましたが、トイレ不足を完全に克服、順番待ちの長い列を淀みなく進めるおトイレ担当スタッフさんのオペレーションが凄い!幕間の混雑をうまく回避して、開演前に観客を席に戻していました。感心しました。

というわけで、明日は昼の部レポートです。


2011年11月8日火曜日

松の会2011 in 赤坂鶴よし

本当は今年の5月に…と予定されていた松永圭江師匠主催の長唄のお浚い会「松の会」が、11月5日に開催されました。
震災があったりして、春の間はお三味線どころでなかったことも事実ですが、少し生活が戻って来た頃に、いろんなことを忘れて気持ちを落ち着かせてくれるものとしてお三味線があったことも事実です。

とはいえ、練習不足を言い訳に出来ないまま、お浚い会本番がやってきてしまいました。
(あ、ちなみに写真は虫六のではありません。自分の写真は撮れませんからね…てか)
我が「忠美恵会」からは、4人の弟子が参加予定でしたが、姉弟子Cさんが直前におたふく風邪に罹ってしまい、参加を断念…本当に残念でした。お稽古にラストスパートかけていらしたので、本当に無念と思います。はやく健康を取り戻して、次回はぜひリベンジしてください!!!!!

今年の虫六の出し物は「越後獅子」。
正直、昨年の家元の会のあとからお稽古始めてますので、1年半もお稽古して貰っております。
正直、暗譜できないとか、旨くできないとか、さすがに弱音を吐いて許されるような状況でもないんで、無理矢理仕上げていただておりますので、こりゃもうドキドキ。
とはいえ練習ではできていたし(!)とか、暗示をかけて、いざ本番。

が、演奏のまえに、圭江先生が「仙台で震災にあって、落ちた荷物の中からお三味線を掘り出した話がブログに載っていて…」と、拙ブログをご紹介くださり…(有り難いことです)、どこからか「頑張れ〜!」とかご声援のかけ声が掛かり…、あの〜、私のとこだけ雰囲気違っちゃってるんですけど (=´Д`=;)
とかなんとか言っているうちに、いきなり演奏がはじまって、気がついたらバチを持つ手が震えていて焦りました。(あがってんのか〜、俺!)
半分くらい過ぎたところで、あと半分か…と思ったら、ちょっと落ち着きが戻って来て、なんとか本番クリアしましたが、前半はズタぼろでしたかね。
修行不足を今日も実感…。あ〜、うまくなりたい (。>0<。)

本番終了後に、圭江先生に「よく暗譜なさって、頑張りましたね」と声を掛けていただき、なんとも有り難かったのですが…でも、実は恥ずかしながら1年半も同じのやっておりましたのです(爆)


そんなわけで、来年度にたっぷり課題を残し、でも緊張感を味わい、皆さんの演奏を楽しんで、今年の松の会が終了しました。

会場となった赤坂の鶴よしさんはもともと料亭でしたが、最近はお席貸しのお店ということで、終了後の会食はお店を替えて懇親会。
演奏が終わってプレッシャーから解放されて、楽しいだけのお食事会だす。唄方の鉄文智師匠や三味線の孝次女師匠ともお席が近くてラッキーでした。また、いつもステキな松永圭哥さんことAさんや、大物経済評論家Oさんの奥さんでもある笛の藤舎露生さんとも興味深いお話が出来、なんだか嬉し〜。師匠方のようなベテランの玄人さんでも本番には緊張して手を間違えないかとか、ドキドキなんだという話をしていただきまして、勇気をいただいたのでした。で、皆さんのチャーミングなお写真などゲットしながら(ほほほ)、美味しいお料理に舌鼓。
勿体ないので、写真は非公開で〜す。

松の会のみなさま、本当にお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。

この日は、先生、姉弟子Nさん、Oさんと、紀尾井町の某ホテルに宿泊。
だめ出し大会というわけでなく、先生にいろいろ励まされながら、長い夜を贅沢に過ごして、今年のお浚い会が終了しました。
先生もいろいろ大変だったのに、仕上げてくださって、本当にありがとうございました!m(_ _)m 
もっとハラハラさせないように、頑張ります!!
…でも、一番お疲れだったのは、やっぱり先生でしょうね…((・(ェ)・;)) お疲れさまでした…。



2011年11月1日火曜日

10月に読んだ本

10月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:1985ページ
読んでた本の数:1冊
積読本の数:3冊

▼読んだ本
つらつらわらじ(3) (モーニングKC)つらつらわらじ(3) (モーニングKC)
ご公儀旗本と地方大名って、国家官僚と県知事みたいな関係なのかな?あの旗本ギャフンと言わせて欲しいね。いよいよ物語が動き出した感じありますね。わくわく。でも。一国一城の主の個性とか力量というものが、国づくりや土地の気風になるということはよく言われるけれど、そこが面白いんだということが、少し実像がみえだした熊田治隆公や、家臣や、奥方(と側室)なんかのやりとりに新鮮に受け取れるところが、オノ先生の力量を感じます。参勤交代という教科書的事項に、いろんなことが含まれるんだなぁ。御庭番・久作のドラマも気になります。
読了日:10月31日 著者:オノ・ナツメ

南の島に雪が降る (知恵の森文庫)南の島に雪が降る (知恵の森文庫)
自分の世代には「大震災・原発事故」が起きてしまったけれど、昭和のはじめには「戦争」という人災があった。生きて内地へ戻る希望もなく、南のジャングルで芋を栽培しながら命を繋ぐ極限状態の日本兵たち。そこに演芸分隊が組織され、幻の一座が誕生。本業俳優の主人公を班長に、ブリキ板を張った三味線や人気ナンバーワンの女形、博多仁輪加をこなす怪僧、驚きの舞台装置を描き上げる無口な絵描き…創意工夫でいい芝居を作ろうとする劇団員とそれを心待ちに受け止める戦場の兵隊たち。この頭と心の柔軟さと情熱にただ脱帽。日本人って凄いなぁ。
読了日:10月26日 著者:加東 大介

I【アイ】 第1集 (IKKI COMIX)I【アイ】 第1集 (IKKI COMIX)
この作品を読まずに「今」という時代を通り過ごしては拙い(!)と思う。「ぼのぼの」にも哲学的命題は散りばめられていたけれど、「I(アイ)」では直球で描いている。しかも理屈というより、あいまいで捕らえどころがない何かを絵の中に封じ込めているような表現。2巻目以降の展開がどうなるのかまったく想像できない。
読了日:10月21日 著者:いがらし みきお

クーベルチュール 1 (Be・Loveコミックス)クーベルチュール 1 (Be・Loveコミックス)
娘に薦められ一読。「ちはやふる」ほどの掴みはないなぁという印象です。たぶん、一郎・二郎兄弟の描き方がいまいちで魅力が伝わって来ないのかな?チョコレートも1粒250円ばかりを強調して、何がどう美味しいそうなのかが、どうも…。1粒1粒を宝石のように描き出して欲しいなぁとかおもうのは望みすぎかな?惜しい。
読了日:10月20日 著者:末次 由紀

ちはやふる(14) (Be・Loveコミックス)ちはやふる(14) (Be・Loveコミックス)
少々展開がまどろっこしい感じもありますが…。個人戦と団体戦の達成感はやっぱり違いますか。負けんなよ、瑞沢高!詩暢ちゃんの孤独やら強さやらほのめく一方で、新たなライバル・富士崎高の山城里音(!)登場。天才&サラブレッド&ポーカーフェイス。ライバル三つ巴状態ですね。富士崎高の桜沢先生、なんかいいですね。
読了日:10月11日 著者:末次 由紀

噺家の手ぬぐい (Do楽Books)噺家の手ぬぐい (Do楽Books)
手ぬぐい好きで半端なコレクターとしては、こんなプレミア手ぬぐいが蒐集できる玉の輔師匠が羨ましい。落語家さんをはじめ、さすが寄席芸人の皆さんは粋でシャレの効いた手ぬぐいをあつらえていらっしゃる。個性も光りますね。オリジナル手ぬぐいを作って見たくなりました。ぜひ展覧会をして欲しいです。
読了日:10月10日 著者:五明樓 玉の輔

きのう何食べた?(5) (モーニングKC)きのう何食べた?(5) (モーニングKC)
レシピ重視な展開になりそうとちょっと危惧しましたが、ぞうTシャツのジルベール君と小日向さんの登場で、話が弾みました。彼らのシロさん分析「オネエは入ってないけど、オバチャンが入ってる」には、声出して笑ってしまった。
読了日:10月09日 著者:よしなが ふみ

神様 2011神様 2011
1000年に一度の地震でも津波でもなく、日本人の日常の有り様をかえたのはやっぱり原発事故なのだと改めて思う。「あのこと」の前では河原での散歩も、水泳も、釣りも穏やかで楽しい行為だったのに、クマが作ってくれる干し魚も嬉しいお土産だったのに、「あのこと」のあとではクマに「…その、食べないにしても、記念にだけでもと思って」と言わせてしまうのが、せつない。でも、クマが変わらずにお別れの抱擁を求め、「わたし」がそれに応じて、その感触を感じるところがなんだか良かった。とても。
読了日:10月07日 著者:川上 弘美

双調平家物語〈14〉治承の巻2(承前) 源氏の巻 (中公文庫)双調平家物語〈14〉治承の巻2(承前) 源氏の巻 (中公文庫)
以仁王が平家追討に立つところまでは、筋として理解できるのです。また、源氏残党のくすぶっている状況も…。そこに現れた怪僧・文覚。やることなすこと破綻してます。こういう異常な人が尋常ならざる手を使わないと世の中は変わらないのか…。それにしても、源氏の正統・頼朝は、世間知らずで優柔不断で、猜疑心の塊。集まった源氏の郎党たちもまだ弱小勢力。大丈夫か?!
読了日:10月06日 著者:橋本 治