2012年1月26日木曜日

寒冷性のアレルギー?

虫六が宇宙船で切腹経験をして帰宅以来、その手術由来かどうかは分からねど、ある共通した疾患に次々おそわれて、複数の病院を渡ることになりました。


まず、不調を覚えたのが、耳。耳鳴りというか、自分の声や外の音が二重に聞こえて、水の中にいるような感じ…。しかし、これまでも急に寒くなったり気候が変わる時期になると決まっておきる症状なので、また耳鼻科通いは嫌だなぁ…と、我慢していました。
20代の頃から、何度となく耳鼻科を転々として、滲出性中耳炎だとか、メニエール予備軍だとか、いろいろと言われてきたのです。酷いときには「めまい」も起こったりして、なかなかやっかいな持病です。

しかし、年越しの前にやっぱり不味い…と思い、また中耳炎の治療かぁ〜とか観念して職場の近くの(それなら通院がはじまっても大丈夫かと)K耳鼻科に行ってみました。
ところが、そこで出た所見は「耳管閉鎖不全症」なる病名。

普通、飛行機に乗ったりやトンネルを通っているとき、耳が圧迫する感じを経験しますが、ゴックンと唾を飲み込むとなおります。それは耳管が開いたり閉じたりして鼓膜に掛かる圧力を調節するからなんだそうなんですが、この病気はその耳管の開閉がうまく機能せず、鼓膜圧のバランスを調節できないのだそうです。
で、開いたままの耳管に鼻水などがたまって、滲出性中耳炎のような症状になるらしい…。
で、季節性のアレルギー性鼻炎が起きたりすると、症状が悪化して、耳鳴りなんかを引き起こす…と。
この病気はあまり知られて無くて、憂鬱な気分にもなるので、耳鼻科に来る前に、あれこれ別な治療をしたり、心療内科などのお世話になる人などもあるらしい。

「昔から寒くなる季節に起きてたんじゃないの?風邪引いた後とかにも…」とかとか、お医者さんの話が、あまりにびしびし当たるので、激しく納得。積年の病名が判明しました。

そんなわけで、まずはそのアレルギー性鼻炎を押さえましょうということで、抗アレルギー剤を処方されました。耳鳴りが酷いときにはステロイド剤、我慢できるときはもっと軽い薬(ザイザル)…と2種類処方。4日ほどステロイドを飲んだら耳鳴りがおさまりました。(まだ、時々くるので、ザイザルは飲んでます。)

また、1月になり職場に復帰したとたんにいろいろ忙しくなり、薬品をつかって金属の錆・埃の掃除するという仕事をしたら、その日の夕方から顎のあたりが赤くかぶれてしまいました。かゆいしなおらないので、H皮膚科にいったら、これまたアレルギー性の皮膚炎と診断されました。薬品の影響もあるかもしれないが、(去年は寒冷じんましんで受診していたので)寒さも原因しているかも…と。で、やっぱり保湿クリームとステロイド剤を処方され、3日つけていたらなおりました。

さらに、これは12月の中頃から上まぶたの上にポチポチと発疹が出来て(紫外線アレルギーでできるようなやつ)、赤くかさかさしていたのですが、ものもらいのようにパンパンに腫れてくるわけでもないので、放っておいたのでした。ところがこの2,3日腫れが増してきてカカラシイので、やっぱりダメか…と、O眼科に行ってみました。そしたら、そこでも「寒さのためのアレルギー」との所見。これまたステロイドの軟膏を処方されて帰ってきました。

みんな原因いっしょじゃね?
ということで「寒冷性アレルギー」というキーワードで調べて見たのですが、ちゃんとした説明が出てきませんでした。
しかし、私の身体は寒くなるとアレルギーが原因で調子が悪くなる体質…ということのようでマチガイ無いみたいです。やっぱり冬は苦手と思う気持ちにはちゃんと根拠があったんですな。

というわけで、ステロイド漬けの虫六でした〜。なんだか怖いけど〜。
(ま、なおって来たけどね)

2012年1月25日水曜日

はやて運行のE5系に乗って帰る

フォーラムは日帰りだったので(この日はオプション観劇無し!ね、黒くないでしょ。)、帰りは「はやて」に乗りました。
えきネットで予約を入れるときに、勘がはたらき「はやて111号」をチョイス。

やった〜!やっぱり「はやて」運用のE5系でした。
「はやぶさ」号は料金設定がお高めですが、「はやて」号 は指定席の特急券で乗れます。
「はやて」なので秋田新幹線「こまち」号を引っ張っております。
2013年には秋田新幹線に真っ赤なボディーのE6系への置き換えが開始されます。
虫六としては、E6系に乗る日の方が期待が大きいのですがね…へへへ。


 E5系とE3系の連結部分。

「はやて」ですが、グランクラス席もあり、アテンダントのお姉さんも乗車しております!軽食付きお酒飲み放題という噂を聞いたけど、「はやて」でもありなんですね、きっと。

(注:このブログは鉄ブログではありません)

紙芝居の可能性を考えるフォーラム

目白の子どもの文化研究所で「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」という催しをやっていて、街頭紙芝居のテーマの回があるというので行ってきました。
(今回は黒い企み無し!!!です。日帰りです、念のため。)

○「紙芝居の可能性を考えるフォーラム」
第3回 街頭紙芝居を現代的視点から捉え直し、何を学ぶか。
紙芝居のおもしろさを今受け継ぐには
日時/1月21日(土) 13時〜17時
スペシャルゲスト/梅田佳声さん(実演披露)
パネラー/上笙一郎(児童文化研究家・評論家)
香月洋一郎(民俗学者)
片岡輝(子どもの文化研究所所長)
堀田穣(京都学園大学教授・絵芝居編集長)

 第1部 梅田佳声さんの「天狗剣士」「黄金バット」の実演

第2部 問題提起  (司会進行 堀田穣)
1)街頭紙芝居は、批判されながら、なぜ子どもを惹きつけたか。受け継ぐものは何か_収蔵作品を概観して  上笙一郎
2)街頭紙芝居の絵は何を語るか_民俗資料としての紙芝居  香月洋一郎
3)街頭紙芝居と教育紙芝居の垣根を取り払ってはどうか  堀田穣
4)このフォーラムから発展させたい紙芝居の世界。懐かしさだけでない街頭紙芝居の世界   片岡輝 


第3部 討論

____

久しぶりの梅田さんの紙芝居は、やっぱり「芸」があって楽しめました。
太鼓、ドラ、謡、のど自慢(いつもの「高校3年生」の替え歌の「黄金バットのテーマ」です)、そして、絵に突っ込む突っ込む。お元気で、その芸をいつまでも見せてください!

問題提起については、思うことはいろいろありすぎて、整理しきれないのですが、街頭紙芝居を児童文化の側からの視点、あるいは、教育紙芝居(とそれにつながる手作り系紙芝居)を正とする感性から評価していく(というより、取り込んでいくという感じでした)のは、現時点ではやっぱり難しいと、率直に思いました。
今の社会状況のなかで、あの時代の街頭紙芝居という職業を成立させることは、無理なわけですが、だからといって、商売の真剣さ抜きに街頭紙芝居的な表現が可能かといえばやっぱり出来ないだろうと思います。そのあたりは、S市でもがいている私どもの方が経験を思っています。
紙芝居で表現するという原理は生かしつつ、何らかの変形をしながら、今の自分たちがピッタリと来る表現をしていくということなんだろうな…やっぱり…と、先生方のお話を伺いながら考えました。
討論の時に発言なさったNさんが「街頭紙芝居は、映画の弁士や端唄や小唄の覚えがあるような芸人崩れがやったもんだった。加太さんやその他の関係者の人たちもみんな『遊び人』ばかり、語り文化を心得た人たちだった。しかし、いま紙芝居をやっている教育系の人たちは朗読から入った人たちだ。そういう人たちが街頭紙芝居ができるのか?朗読の文化が、語りの文化を潰してしまったのではないか?今の国語教育はどうなっているのだろう?」(虫六意訳)ということをおっしゃっていて、この日一番共感出来ました。

また、街頭紙芝居的な感性を受け継ぐということと、文化財としての街頭紙芝居を守り評価していくということは別次元で考えていかなければならないのです。それは個々の表現者に課すべき問題ではなくて、実演者や児童文化関係の方々はもとより、他分野の研究者も織り交ぜてみんなで議論し取り組んでいくべき問題だと思っています。しかし、紙芝居はそこまで進んでいません。H先生に「学会とか作らないのですか?」と聞いてみたら、「無理無理!」と一蹴に伏されてしまいました。とほほ。

でも、いま紙芝居に取り組んでいる人たちが、何か街頭紙芝居から学ぶべきものがあると感じることはとても良いことなので、手作り系の方々もどんどん面白いものを作ってほしいと思います。





2012年1月21日土曜日

石川舜個展「薄明の鴉」

石川舜さんの震災後はじめての個展。石川さんはこの間どんな仕事をしていたのかな?ということに興味があったので、昨日(20日)久ぶりの休みでもあったので(10日ぶりでした)行ってきました。

「鴉 薄明」2011

○石川舜展「薄明の鴉」
日時 2012年1月17日(火)〜22日(日)
11:00〜19:00(最終日は18:00まで)
*1月21日(土)17:00〜パーティをします。
〒980-0012 宮城県仙台市青葉区錦町1-12-7門脇ビル1F(駐車場有)
TEL&FAX 022-222-0654


紙にガッシュのあんまり大きめでない作品中心でした。
去年と、今年になってから描かれた作品もありました。
しかし、何かが劇的に変わったということもなく、いつもの、石川さんの内省的な悪夢のような理解することを撥ね付けるような複雑なイメージが現出していました。

久しぶりにお会いしたのに、昨日もあったような感じで迎えてくれ、その感じがなつかしかったのでした。(あ〜、美術から遠ざかっていかばかり…)
ちょうど、詩人のAさんとI子夫人も見にきていて、石川さんが「紅茶はアールグレーの香りが気にいっているんだ」と、3種類のアールグレーをいろいろと不器用そうに入れてご馳走してくれました。つか、最後の1種は見かねて虫六が入れました(;´▽`A``

震災で描けなくなったりしましたか?とお聞きしてみると、「そんな事はないの、描きたいことはいつもあるの…。でも地震で娘の部屋の荷物が崩れて、おれのアトリエに持ち込むから狭くなったのよ(苦笑)」と。

画家は描くべきものを揺るぎなく描く。作家は書くべきものを揺るぎなく書く(←これは、昨日芥川賞作家の不機嫌会見をみて思ったのですが…)。それでいいのだと、改めて思った次第です。

2012年1月15日日曜日

どんと祭

すでに昨日(14日)のことになりますが、S市内は恒例のどんと祭で、去年は高校受験でいけなかった虫六子と一緒に行く計画でした。
が!
虫六仕事復帰1週間目にして、例の丸投げ上司がまたもや仕事放棄してメール1本で出勤拒否(とんずら!)。朝から病み上がりの腹がキリキリするほどのストレスの中、今日中に超えねばならないヤマがあり、いつものごとくアルバイトの学生くんらと大残業大会となってしまいました。
自宅で待ちくたびれた虫六子は母の職場までやってきて、机に隠し持っていたお菓子を漁り漁り、仕事が終わるのを待たされ、…さて「どんと祭に行こう!」と職場を出たら10時をまわっていました。

 向かうは大崎八幡神社。
表参道から入ると長蛇の列に並ばなければなりませんが、裏門のほうから入ると、短距離でお参りできます。

センター試験の初日、昼間は天気が保ちましたが、夜になって雪が舞ってきました。煙に押されて雪がみだれ飛んでますね。そういえば、お友だちのKりん(群馬在住)から、「どんと祭にいくなら、松にセシウムが濃縮しているそうなのでご注意」とのメールをもらってましたな…。しかし、私にどおしろと…。ダイオキシンとどっちが有害ですか?

さすがに深夜近くで裸参りの行列は終わってしまったのか、やってきませんでした。
大焚き火に松飾りを放り込んで、お願いごと。今年はまわりで拝んでいるみなさんもきっと同じお祈りでしょうね…。
今年に入って正月1日以来、また余震が続いてますが、去年のような災害がなんどもあっては日本が無くなってしまいますよ。去年のどんと祭には、この状況は想像だにしていませんでしたな…。

焚き火の番でコスプレっぽい奇妙な格好の寺社関係者の方がいました。


テキ屋さんの露店で、具の入ってない焼きそばと「豚玉焼き」を晩飯に買いました。あまりにお腹が空いていたので、2人で大判焼きを食べながら歩きました。(みんな粉ものばっかり…)。本殿にお参りして、虫六子に「勝守」を買ってやりました。

それにしても、明日も明後日も休日出勤となってしまった…。
これって1月休んだツケなんでしょうか????

2012年1月12日木曜日

大日如来でお参り

お正月に初詣もしなかったので、大日如来さんにお参りしました。

 大日如来は、未年と申年の守り本尊。
どっちの干支でもありませんが、どうぞよろしくお願いします。

狛犬ならぬ、ひつじとさるのややリアルちっくなブロンズ像がお出迎え。
緑深い鎮守の杜…。

と、思いきや…?
となりのビルに描かれた(てか写真?)バーチャル参道でした!
すげー、大日如来、すげー!!
窓付いてるし…。

S市にお越しの際には、ぜひ大日如来にお立ち寄りください。


2012年1月9日月曜日

稽古はじめ

8日は初稽古で、新年会も行いました。


先生の手作りちらし寿司に、皆さんでおいしいおかずやスープを持ち寄って、時間を忘れるひとときでした。うまっ!
(うちの姐さんがたは、とにかくお料理が上手なんですよ〜)

で、のんびり油断モードで過ごしていたら…
「みんな三味線出してー」の号令で、突如振られた『春興』!
それをやるならやると…\(;゚∇゚)/うそっ!うそっ!…練習しておくんだった( ̄◆ ̄;) 
情けなくも、ぼろぼろ…。
つか、あんなに血反吐を吐くほど練習したのに(←うそです)、2曲くらい他の曲を練習しているあいだに、けろっと忘れている自分が怖い。
頭はすっかり『都鳥』。いちどに1曲しか入らない自分のキャパシティが悲しい。

過去にやった曲も常に練習しておかないと忘れるんですよね。
部屋の片付けはできないけれど、覚えたはずの曲は、とっとと頭の倉庫に仕舞い込めてしまう、新年から猛省の虫六でした。


【今年の目標】
三味線は頭で覚えるな!身体で覚えろ!

2012年1月5日木曜日

12月に読んだ本

12月の読書メーター
読んだ本の数:9冊
読んだページ数:2086ページ
ナイス数:52ナイス

花に染む 3 (クイーンズコミックス)花に染む 3 (クイーンズコミックス)
花乃も雛も姫も、それぞれ同じでない距離感で陽大に思いを寄せているわけですが、陽大が生きている世界は息苦しすぎてそういう次元にない感じがする。姫の存在が物語をざわざわさせて面白いです。それにしても、これで1部完結ってのは無いッス。2部に続くっていわれても何だか納得できないなぁ。
読了日:12月21日 著者:くらもち ふさこ

芸と人―戦後歌舞伎の名優たち芸と人―戦後歌舞伎の名優たち
ミスター国立劇場(?)こと織田先生の名優録。戦後歌舞伎の王道が歌舞伎座を中心に熟成された一方で、復活狂言や若手育成公演、国立歌舞伎俳優研修所の運営…と国立劇場が果たしてきた役割は相当大きい。謙遜した文体に、そーか織田先生って公務員だったのだな…と改めて認識しつつ、そういう立場から一癖も二癖もある役者たち相手に(時に罵倒されながら)歌舞伎文化の伝承と発展を下支えした人生だったのだと、感心しました。毒はないけどそれぞれの俳優の心に残るエピソード満載。辰之助の「織ちゃん、友達だよな」はやっぱり心痛、泣けます。
読了日:12月17日 著者:織田 紘二

日本刀・松田次泰の世界日本刀・松田次泰の世界
丁寧な取材に裏付けられた「和鉄刀鍛冶」の仕事を紹介した絵本。絵であることで工程や道具、使い方、仕事場のレイアウトなどより詳細に理解できる。しかも、この絵はかなり巧い!鍛冶場といえば暗い現場でもあり、写真ではここまで表現できないかもしれない。日本刀の技術は鎌倉時代を頂点といわれていて、多くの刀匠はそれをめざすそうだ。しかし、現在日本に100人もの刀鍛冶がいるというのは、「えぇ、そんなにいるんだ」と驚きました。知らないことはいっぱいあるなぁ。
読了日:12月14日 著者:かつき せつこ

ちはやふる(15) (BE LOVE KC)ちはやふる(15) (BE LOVE KC)
「由良のとを わたる舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな」今回の表題歌はうまくはまりました。決勝戦もいよいよ終盤。苦しみながら団体戦の面白さと快感をまっ体験する千早たち。この振動が、クイーンや新ら個人戦の選手たちにも伝わっていくのか。太一、強くなったなぁ。ところで千早のケガはどすか?
読了日:12月14日 著者:末次 由紀

歌舞伎座を彩った名優たち―遠藤為春座談歌舞伎座を彩った名優たち―遠藤為春座談
なにしろ明治大正の俳優の話なので、役者系図首っ引きで何代目か確認しながら、想像力を全開にして読みました。滲んだ白黒写真だけでは名優と言われてもピンとこないけど、歌舞伎制作の現場から80年芝居を見続けた遠藤為春の言葉に掛かると、9代目團十郎や5代目菊五郎、市川新蔵という役者の魅力や凄さが伝わって来る。例えば、9代目は『助六』の裾を縫い付けないで、仕立てと腰の入れ方だけで綺麗に捌いた…とか。なんだかかっこいい。インタビューする戸板先生のワクワクも伝わってくる。今は映像が残るけどこういう仕事やっぱり大事だな。
読了日:12月13日 編者:犬丸治

私の「歌舞伎座」ものがたり (朝日新書)私の「歌舞伎座」ものがたり (朝日新書)
およそ70年の観劇歴!劇評家とはいえただ敬服。理路だち辛口な筆が持ち味の保先生。しかし本書は個人的な経験や記憶を頼りに、「歌舞伎座の歴史を述べる」という目的から離れて、思い入れ優先で書かれているからでしょうか、珍しい1冊という感じ。歌舞伎に、歌舞伎座に対する愛情で満ち溢れています。歌舞伎座が近代から現代に至る歌舞伎を生み出してきた中心的な現場であり、役者等関係者の成長の場であったと同じく、それを味わい深く人生に取り込む観客にとっても成長の場であった。閉場して1年半、次の時代が待ち遠しい。
読了日:12月10日 著者:渡辺 保

季刊 ココア共和国vol.8季刊 ココア共和国vol.8
10月下旬にsmtのオープンカフェで作家自身が朗読していたいがらしみきお「地震のこと」と、クマガイコウキ「仮称松岩と四千万円とマッチ売りの少女と私たち」が所収されている。活字にしてくれたんだ!ありがとう!それから、いがらしさんの画と詩の新作「人は死ぬのを知りながら」も載ってます。小さな詩集で店頭発売はないらしい。みんなに知って欲しいです。
読了日:12月08日 著者:秋 亜綺羅,いがらしみきお,四方田 犬彦,須藤 洋平,クマガイコウキ,豊田 和司

双調平家物語〈15〉源氏の巻(承前)、落日の巻 (中公文庫)双調平家物語〈15〉源氏の巻(承前)、落日の巻 (中公文庫)
なにが怖いって後白河法皇の不気味な存在感です。清盛、独裁支配下における一院幽閉や仏法焼き討ちなど暴虐もさることながら、熱病死という死に方も壮絶で祟りまくられていましたね。頼朝はどうも好きになれないのは私だけではないでしょう。平氏の繁栄は一門同士で争うことをしなかったから、しかし、源氏は保元の乱の前から一族で争い、互いに殺し合いをしてきた。天下を転覆させても源氏には破滅のDNAが埋め込まれていたんだな。とはいえ、義経もやっと姿を現してくれました。次はいよいよ最終巻!
読了日:12月07日 著者:橋本 治

夜のピクニック (新潮文庫)夜のピクニック (新潮文庫)
男女の色恋なんかなくても、鉛になるほど体力の限界まで完走したってことだけで十分に青春の記憶になるよ。歩行大会ってのはお喋りできて気が利いた設定。主人公は、不倫の末の異母兄弟という互いの出自にわだかまりある高3の同級生男女。倦怠を伴走に友達と歩く。夜の帳をはぐように秘密がほどかれ、微妙な友情の起伏の中にそれぞれの成長めいたものもある。行程の最後、朝日を背景に言葉を交わすシーンは秀逸。ロードムービーを見るよう。お互いを認めることが出来た後の、それが決して甘美なものだけでないと予感という記述に含み有りなのか?
読了日:12月02日 著者:恩田 陸

ちなみに

【2011年に読んだ本】は
読んだ本の数:79冊
読んだページ数:17219ページ
月間平均冊数:6.6冊
月間平均ページ:1435ページ
だったらしい。


読書メーター

(独り言)
本を読むくらいしかすることがないと、たっぷり積んでおいたのに、思ったほど読めずに休業期間が終わってしまって情けないやら、空しいやら…。

2012年1月4日水曜日

正月休み

年末31日に、いつものように帰省して、両親と兄家族と暢気に紅白など見て年を越しました。
田舎に帰って、いつもと同じ大晦日の過ごし方があり、いつもと同じ正月の過ごし方をしていることに、なんとなく違和感がありました。
実家が配給でもらった缶詰がいっぱいあるからお土産に持って行けと渡されました。「輸入元」の記載がない外国産のツナやフルーツ缶でした。
南相馬市の高校に通っていて学校ジプシー状態で苦労した甥っ子の受験が迫っていました。(頑張れ!)


2日、こたつで丸まってテレビを見続けて、脳みそに酸素がまわっていかない過ごし方をしていたので、虫六子と散歩に出かけました。銀子さんの実家に向かう道の途中で、12月21日から相馬ー原ノ町間の往復路線のみ運転再開された常磐線の701系が頭上を走り抜けていきました。

常磐線は、東日本大震災による津波被害と福島第一原子力発電所事故による警戒区域の設定ため、まだ、広野駅ー原ノ町駅間および相馬駅ー亘理駅間で運転を見合わせていて、再開の見通しは立っていません。
いまは、仙台ー亘理間は列車、亘理ー相馬間は代行バス、相馬ー原ノ町間は列車で運行されているようです。

 気になって、帰り足で相馬駅まで行ってみました。

仙台ー原ノ町間の時刻表(12月21日現在)

駅前に亘理駅行きの代行バスが待っていました。
ピストン運行なので2番線は使われていませんでした。
広野方は何ともしょうがないけど、亘理方は早くに線路復旧して仙台まで開通して欲しいと相馬の人たちはみんな言っていました。それでも、駅が開いて列車が停まることは地元の人たちに取っては心の支えになると思います。

(追記)
ところで、帰省帰りのお決まりコースで岩沼市の「とんかつ・黒潮」に立ち寄る計画だったのですが、なんと…震災の影響で閉店してしまったらしく、店舗が無くなっていました。超ショック…。

2012年1月3日火曜日

迎春


2011年がおわり、2012年が明けました。

個人的には情けなさばかりを痛感し、違和感ばかりを覚える毎日でした。

区切りのつかない状況は多くあり、楽観できない気持ちの居心地はあるけれど、
海はとっくに青さを取り戻し、
潮を被った丘には芽が吹き出し、
警戒地区の中では鳥が卵を暖めます。

人の営みや感情とは関係なく、春はやってくる…。

あの自然の驚異を目の当たりにし、人の奢りを痛感してしまった私たちは
これまでの延長線上には同じ1歩はもう踏み出せないけれど、
せめて個人レベルでも、より良き有り様とはどんなものかを考えつつ、
別の1歩を踏み出す勇気を持って、春を迎えなければと思います。

そして、少しでも気持ちに余裕を持って、
正しいと思えるものを正しいといい、
面白いと思えるものを面白いと言える、
自分を保ちたいと思います。

今年もよろしくお願いします。