2016年5月15日日曜日

古切手

虫六子に頼まれて、使用済み切手を集めるために、もらった手紙を引っ張り出して切手のところをハサミで切り抜く作業をしていたら、


宝石箱の中からジュエリーの台座を残して石だけ取り出しているみたいだなーと思ってしまった。いえ、漠然と。

こういう作業は、当然のことながら、いろいろ余所道にそれて1日仕事になってしまうわけですが…。

2016年5月8日日曜日

慙愧丸P観桜会2016_桜の下で陽司師匠を偲ぶ会

当日雨降り確実で中止の噂もささやかれながら「決行」を押し切った恒例の慙愧丸プロジェクト観桜会。きっと午後には晴れるはず…と少し開始時間を遅らせてはじめることにしましたら…

ほらね、晴れてきましたよ。ふぉっふぉっふぉ。

ほんのわずかながら、桜も残っておりました。

まぁ、時期的にはもう藤が満開の季節となってしまいましたが …。

今年も各自持ちよりのお花見会です。
まだみんな集まっていないけど、はじめるよ〜。

今年の観桜会は、二十一世紀紙芝居「蛇蝎姫と慙愧丸」の演じ手であった故神田陽司師匠を偲ぶ会となってしまいました。観桜会のお知らせをすると、いつも残念がって「いつか参加したい」と必ず返事をくださっていた陽司師匠。2年前には「何か奇跡がふたつ分くらい起こったら飛び入り参加させていただくかもしれません。」なんてメールをくださっていたのですが、そのころ深刻な健康問題を抱えていたなんて想像もできず、言葉の意味を推し量ることもできませんでした。陽司師匠、やっと参加出来ましたね。今日は楽しんでいってください。そして、どうぞやすらかにお眠りください。

予定のメンバーもほとんど揃い、やや大きな輪となりました。
午後からはぐんぐん気温もあがり暑いくらいの陽気。(撮影:虫六子)

 まわりを見渡しても宴会しているグループはわれらだけで、いつものように歌は飛び出さず、ノリも今年は大人しめでしたが、のんびり話などしながら気分良く飲みました。虫六は病身なので、酒は少々控え気味で。(撮影:虫六子)

…と夕方近く、突如姿をあらわすフリスビー犬・シャーロック。
おー、Dグウジ君遅いじゃないか!笑(撮影:虫六子)

シャーロックのフリスビーの妙技で、急に盛り上がる一同。
やっぱり余興に飢えていたのか、この人たち…。
「俺はフリスビーをする犬が、犬の姿のなかでいちばん好きなんだ!」と撮影に興じる監督。

 いつもは盛り上げ隊長のYさん。なぜか今年は大人しいなーと思ったら、暗くなってきたら少し元気になってきました。藤棚ベンチをみつけてご満悦。(撮影:虫六子)

 人見知りのシャーロック君ですが、綺麗なお姉さんは別みたい。I川ちゃんにこちょこちょされて目が嬉しそうであります。ショージキですねー、チミ。(撮影:虫六子)

【おまけ】虫六子が発見したシャーロックの癖。(撮影:虫六子)

今年もみなさまご参加ありがとうございました。
また来年もよろしくねー。

さて、後日談…。
帯状疱疹でこの連休を情けなく過ごしていた虫六。8日には神田の古書センターで「神田陽司を偲ぶ会」という追悼の講談会が予定されておりました。しかし、体調のこともありいけるかどうか決めかねていたのですが、前日になりやっぱり行こう!と決心して監督に連絡、新幹線の予約などしていたら、急に携帯にこんなメールが…


ええええぇぇぇぇええええええ????


2016年5月4日水曜日

3・4月に読んだ本

2016年4月の読書メーター
読んだ本の数:2冊
読んだページ数:631ページ
ナイス数:12ナイス

芸者論―花柳界の記憶 (文春文庫)芸者論―花柳界の記憶 (文春文庫)感想
適当な表現ではないかもしれませんが、読めば読むほど「素敵」な本だった。とても興味はあるけれど、ケチな田舎もんには垣間見ることもできない世界の一つに花柳界があります。芸者という職業やそれを生業として生きる女性たちへ向けられたまなざしが彼女たちと同じ場所にあり、優しくて偏見もなくて素晴らしい。吉原芸者カッコいい!垢抜けた歯切れの良い文体もそうとう好みです。芸者さん、生き残ってほしいです。
読了日:4月30日 著者:岩下尚史

箏を友として──評伝 宮城道雄〈人・音楽・時代〉箏を友として──評伝 宮城道雄〈人・音楽・時代〉感想
箏は江戸時代に大成され、江戸幕府に保護された「当道」という組織に属する盲人男性音楽家たちによって伝承されてきた音楽だという。明治27年生の宮城道雄は8才の時に失明を宣告され箏曲地唄の道に入るが、ご一新以後「当道」を保護する政策はすでになく、道雄はプロの演奏家・マルチな作曲家として新しい時代を拓きながら生き抜いていった。西洋音楽が輸入され、邦楽は時代遅れで低俗なものと大衆の感性が変っていく状況の中で、西洋音楽を学び邦楽に取り込み、批判をはね返し、大衆を味方につけて結果として古典と邦楽を守った音楽家だった。
読了日:4月17日 著者:千葉優子

読書メーター


(3月分おまけ)

わたしの渡世日記〈下〉 (新潮文庫)の感想
後編は戦後から松山善三との結婚に至るまで。…赤裸々なというより自分を飾ろうという気が一切感じられない潔い文章。何より、映画の黄金時代に女優として、才能溢れる監督や俳優たちに囲まれながら、その中心に存在していた人の鋭い観察眼は映画史としても面白い。「しょせん人間は、1枚の皮をかぶった『骨』である」と高峰さんは言うけれど、「女優・高峰秀子」という人物を纏って生きてきた人の達観した人生観なんだなと思う。
読了日:2月26日 著者:高峰秀子

30年ぶりの、「愛と哀しみのボレロ」と帯状疱疹

お正月のリバイバル上映を見逃していた「愛と哀しみのボレロ」。GWに1週間だけアンコール上映されるというので、今度こそは!と観にいきました。


「愛と哀しみのボレロ」はクロード・ルルーシュ監督による1981年公開のフランス映画ですが、かつて虫六が観たのは、S市の名画座(*)で、かつ、大学生の時でしたので、ロードショー公開時ではないと思いますが、先輩らに誘われて出かけたもののえらく混んでいて、いちばん後ろの席で立ち見だったという記憶があります。とても長い映画(3時間以上)で、あのラベルの「ボレロ」の音楽でジョルジュ・ドンが踊るバレエのシーンがなんといっても鮮烈で記憶の深いところに刻み込まれておりますが、肝心の話の筋はいろいろ複雑で、こんがらがりつつ足の痛みを我慢しながら見たのであまり覚えていませんでした。

映画の内容を説明するととてつもなく長くなるので、思い切って省略します(詳しくはこちら参照)が、今回およそ30年ぶりに観てみたら、やっぱり話はよく理解していなかったんだな…というか、こういう映画だったのかと、お恥ずかしくもあらためて堪能しました。

断片的に覚えているシーン(バレエのオーディションのシーンやセルゲイが亡命するシーン、アンヌ夫婦がアウシュビッツに送られていく途中の駅で赤ん坊を列車から捨てるところ…など)もありましたが、クラシック(カール・クレーマーのモデルはカラヤン)だけでなく、パリの居酒屋で流れるミュゼットやアメリカではジャズのビッグバンドと多彩な音楽劇であったということは今回あらためて合点しました。また、ストーリーも思っていたほど複雑なつくりでもありませんでした。20才やそこらの自分、戦時中のヨーロッパの社会的な背景やなんかもよく分からずに、…けっこう背伸びして観ていたんだなと。

今さらながらボロ泣きする場面もあり(特にアンヌにまつわるエピソード)、戦争は、普通の慎ましく生きている家族の小さな幸せを無残に奪い取っていく。どんな理由があっても、戦争に正義なんかない!と思わずにいられませんでした。

実は、映画館の受付に「愛と哀しみのボレロ 人物相関図」というプリントが置いてあったので、「これください!」と抜け目なく頂戴し、直前に予習したので話についていけたのかもしれないのですが。(はじめて観るという家人Tも、「これ観てなかったら分かんなかったな」と本音をもらしておりました)

ひとつ気になったのは、あの映画のスポンサーって赤十字だったのかな?

(*)30年前に観た映画館については、虫六は一番町の名画座だったと思うんですが、いやあれは青葉劇場だった(ロードショーの時?)というご意見ありました。そう言われればそうであったような…。う〜ん、記憶曖昧。


さて、これが連休初日の話。

そのあと、どうもね身体が痒くて、太って下着がきつくなってかぶれてしまったか…とポリポリしていたのですが…、その痒みがどんどん痛みに変わってきまして。
…なんといいますか、神経を刺すようなピリピリする痛みがどんどん面積を増やして鈍痛になっていく…という感じ。
(あう、この痛みはなんか覚えがあるなー)と思いあたるところがあり、(もしやあの病気再発では…)と、やーな予感がして連休はざまで月曜日に皮膚科がやっていたので診てもらったところ、なんと『帯状疱疹』||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||

そう、この病気もちょうど30年前に、虫六患っておりまして、そのころはまだ特効薬が開発されておりませんでしたので酷い目にあいました。
水疱瘡のウィルスが体内に潜伏していて、時を経て、過労やストレス・加齢なんかで免疫力が落ちてくると、暴れだして神経細胞を攻撃するって病気です。神経にそって帯状の水ぶくれができるので、身体のどちらか半分だけに症状が現れるのが特長です。
これまでもたまに疲れると神経痛みたいに背中が痛むことがあったので、後遺症かなと思っていたのですが、30年を経て大暴れ…。

身体が痛くて何をするにもエンジンかかりません。
連休に遠くに出かけるような用事がなかったのが不幸中の幸いでした。

それにしても、30年ぶりの再発…原因は過労・ストレスでしょうか?加齢でしょうか?
う〜ん。
いずれ人生一巡したんだな、ということを実感した連休の初めでした。

【おまけ】
帯状疱疹の抗ウィルス薬はとても効果があるそうですが、高いです。∑ヾ(@0@;ノ 




2016年5月2日月曜日

久しぶりで歌舞伎座の花道を仰ぐ_四月大歌舞伎昼の部「不知火検校」「身替座禅」

幕見席で仁座さまを拝みましたらスイッチが入ってしまいまして、ついついチケットセンターに足が向いて、翌日(←休みでした)の空席など聞いてみましたところ、なんと花道の脇のブロックに空席が…。
あう、ここんとこ無駄遣いしないように大人しく過ごしていたんですけど、黒い心がざわついちゃいましてね(*≧m≦*) 買っちゃいました、歌舞伎座一等席。

チケットあるとなると、急に余裕だね。木挽町界隈を朝から散歩。
(実は、宿にしていた虫六子の部屋を「1コマ目あるから」と早くに追い出された)

あのビルの、裏路地。

はい、表につきました。

あのファサードだけをファインダーに収めれば違和感ないように撮れますが、実際はこんなです。オリンピックのやり直しコンペで聖火台のない国立競技場を設計した高名な建築家の作品です。

しえ〜、舞台間近。花道の七三がすぐそこです。そこに仁座さまの酔態が見られるぞよ〜。(始まる前から妄想)

世間の桜は終わり加減ですが、筋書きの藤の花房もみごと、緞帳の桜は満開です。

○歌舞伎座 四月大歌舞伎
【昼の部】
 
『松寿操り三番叟』
  三番叟 染五郎
  後見  松也

『沖津浪闇不知火 不知火検校』 浜町河原より横山町の往来まで
  富の市   幸四郎
  生首の二郎 染五郎
  鳥羽屋丹治 彌十郎
  同 弟玉太郎 松也
  岩瀬藤十郎 友右衛門
  岩瀬奥方浪江 魁春
  湯島おはん 孝太郎
  母親おもと 秀太郎

新古演劇十種の内 『身替座禅』
  山陰右京  仁左衛門
  太郎冠者  又五郎
  侍女千枝  米吉
  侍女小枝  児太郎
  奥方玉の井 左團次


『松寿操り三番叟』は、マリオネットのような人形振りでみせる三番叟。途中で糸が切れて制御不能になる踊りが面白い、三番叟の化粧(かお)も面白い。

 『不知火検校』はちょっと毛色の違う歌舞伎でした。歌舞伎と言われればそうですが、様式美というよりも心理劇のような現代性があり、こういう芝居はとても幸四郎には似合っているように感じました。主人公・富の市は、親の因果で生まれながらに目が不自由で、横山町の検校の元に修行に預けられられたものの手癖が悪く破門となります。ところが、この富の市は、冷酷・無慈悲・良心のかけらもない人格の持ち主で、いわゆるサイコパス。悪い仲間を巻き込んで、平気の平左で悪事を重ね、ついには師匠検校を殺めて貯めこんだ金も盗み、まんまと検校の座も奪ってしまいます。その身分をうまく使ってさらに仕事は大胆に…。悪事の末にお縄にかかるけれど、最後に放つ悪態が痛快。

(うわー、つまんない人生の末に汚ねえババアになって終わるのか、私も…!?)と、そのセリフに自答しつつ、一瞬ひるみました。
(いえ、足ることを知ったライフスタイルが虫六の生活信条です、はい。苦笑)

余談ですが…
江戸時代、盲人は「当道座」という自治組織に属することが奨励されて、主に平曲・地歌三弦・箏曲等の演奏、作曲、あるいは鍼灸・按摩の技を身につけて職業とし、その業績が認められれば一定の期間をおいて「検校」まで73段に及ぶ盲官位が順次与えられたそうです。「検校」は平安時代を起源とする盲人に与えられた役職で、そのような盲官中の最高位であり、当時は非常に大きな権力をもっていたらしい。しかし官位を得るためには非常に長い年月がかかるので、早期に取得するため金銀による盲官位の売買も公認され、お金を積めば認定されるようになったそうです。検校になるまでには総じて719両が必要であったと言われていたとか。
また、そのような官位の売買に絡んで高利に金貸しをすることも認められていたので、それで爆利を得る検校などもいたそうです。(wikipedia参照)


もちろんお役柄、幸四郎の生歌やお三味線の生演奏も聴けました。声の良い役者さんですし、ミュージカルスターでもあることはよく知られたことですが、地唄も堂々としたもの。芸達者だなー。得した気分でありました。

で、待ってました!の『身替座禅』。
おっかない奥様と浮気性の旦那様の爆笑・松羽目コメディ?人気演目であります。
仁左衛門の山陰右京さまははじめて拝見です。これまで、十八代目勘三郎や團十郎の名演も拝見していますが、どれとも違う右京でありました。
憎らしいくらい色っぽくて桃色のオーラが匂い立ってましたよう…(*´ェ`*)…。ゲラゲラの喜劇に落ち込まずに、品の良さが漂うところがやっぱり松羽目ものって感じで、とても後味が良いです。げっぷが麗しい芸になるって、歌舞伎くらいですよね。
左團次の玉の井は、醜女なれどモテる旦那を持ってしまった執着をあまりエグくなく演じていて、返って心は乙女ということが伝わってきて面哀しい。それは心配でありましょう、これだけダンナが色っぽければ。

又五郎の太郎冠者はいい味!絶妙でした。千枝(米吉)・小枝(児太郎)は存在感はかわいいのに、しっかりものの腰元が「仕事できる」感じで、頼りない太郎冠者とのコントラストがまた可笑しい。無駄のないキャスティングでした。あんまりかわいいので、最後に売店に滑り込んで米吉君の生写真をゲットして帰ってきました。

2016年5月1日日曜日

仕事帰りに四月大歌舞伎にて仁左衛門様を拝む_「毛谷村」

急に仕事で関東地区に行く用事ができまして…

 北海道新幹線のH5系初乗り(東京方面ですが…)。

…E5系とどこが違うのか乗り心地的には全然分かりませんでした。爆

で、お仕事は昼過ぎに完了しまして、ふらふら〜と幕見席空いてるかしら—?と木挽町界隈へ足が向いて…もう販売はじまっておりましたが意外に若い番号をゲット。
やたー!久しぶりの仁座様じゃ〜!

夜の部は、
仁左衛門の六助で『彦山権現誓助剱』 杉坂墓所・毛谷村、
それから
染五郎の新作・『幻想神空海』
が掛かっていますが、ゆっくりできないので、とりあえず『彦山権現誓助剱』のみ拝見。新作拝見できず残念でした…。(でも、毛谷村が終わったらどどーっと幕見のお客さん一気に帰ってしまった感じでしたが…)

仁左衛門の毛谷村六助は意外な感じの配役でピンと来ていませんでしたが、これまで見た「毛谷村」の中では、いちばんしっくりする話に感じました。
六助という人物は、剣術の奥義を授かるほどの遣い手らしいのですが、親孝行で情に弱く、出世欲もない、お人好し…というキャラクターです。いろいろアリかそれ?という歌舞伎らしいお話なので、(六助って頭悪いんでない?)という感覚で見ていたところが正直あったりしたのです。しかし、今回はなぜか(っていうか、仁左衛門の解釈の深さと思いますが)妙に六助の肚の内が伝わってきて感情移入ができました。

母親に孝行したいという気持ちにほだされて微塵弾正(歌六)の八百長試合に付き合ってしまうところも、いつも亡くなった母親への孝心が行動規範になっていて、「もう自分は親孝行したくてもできないから」とそちらの気持ちが勝って請け負っちゃうんだなーと。また、急に現れた押しかけ母親のお幸(東蔵)にも戸惑いつつも礼を尽くし、押しかけ女房のお園(孝太郎)にも戸惑いつつもまんざらでない感じ…、普通なら(ありえんわー)ですが、若々しさがあって妙にしっくり。で、微塵弾正への人助けと思ってやったことが騙されてただけでなく、母親と偽った老母は実は拐かした斧右衛門(彌十郎)の母親で、弾正は無事に仕官が叶って用済みになったあと老母を殺していたということが判明し、さらに自分の剣術の師匠で今は舅(お幸の夫・お園の父)となった吉岡一味斉の仇でもあったと分かり、怒りに打ち震える見栄では、(い、いかん、この人は怒らせちゃいかん人ですよ〜!!!!!(´Д`;≡;´Д`))と、4階までもとどく殺気と迫力。本当に怖い人ってこういう人だよ〜。

仁左衛門の肚に飲み込まれました。それもまた快感。

そもそも誘拐されているのに、武家の奥方みたいな着物を着せられて弾正の寸劇に付き合う斧右衛門の母親ってオカシクないのかな…とこれまでは思っていたけれど、(そうか、呆けてしまったお婆ちゃんだったのかなー)と勝手に先回りして納得している自分がいたのでした。
歌舞伎なのに〜。